親不知子不知

西頚城郡青海町

 兄の清盛と対立してゐた平頼盛は、京から越後へ逃れ、五百刈村で落人として暮らしてゐた。京でこの噂を聞いた妻は、二才の子を連れて、越後へ向かって慣れぬ旅に出た。越中を過ぎ、越後の入口に入ると、道は波の打ち寄せる絶壁の下の狭い砂浜だけだった。この浜を、波が引いては進み、波が来ては岸壁に身を寄せて波の引くのを待って進んだが、とうとう波に足をすくはれて、子どもの手が離れ、その子は波に呑み込まれてしまった。そのとき詠んだといふ歌。

 ○親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く

 この歌から、越後のこの難所を、親不知子不知といふやうになったといふ。