越後の親鸞
新潟市ほか
建永二年(1207)親鸞は越後へ配流となった。新潟で親鸞が法話を説かうとしたとき、まともに聞く人もなかった。そこで親鸞は竹の杖を地面に突き刺して歌をよんだ。
○この里に親の死したる子はなきか、御法の風になびく人なし 親鸞
すると杖から根を生じて竹林ができた。挿した杖は下向きだったので、その一本は逆さまの枝をつけたといふ。「西方寺の逆さ竹」といふ(新潟市鳥屋野 西方寺)。
さて、親鸞が赦免となって越後を去るときの宴の席で、別れを惜しむ里人が鮒を焼いてすすめると、親鸞は鮒を食べずに歌を詠んだ。
○わが真宗の御法仏意に叶ひなば、この鮒かならず生き返るべし 親鸞
そしてその鮒を山王神社の池に投げ入れると、鮒は生き返って泳ぎ出したといふ。(西蒲原郡黒崎村 山王神社)