筑波山

 昔、祖先の大神が、諸国を旅したときのこと、駿河の国で日が暮れてしまった。そこで富士の神に宿を請ふと、「今日は新嘗(にひなめ)祭のために家中が物忌(ものいみ)をしてゐるところですので」と断られた。次に、筑波の山で宿を請ふと、筑波の神は、「今宵は新嘗祭だが、敢へてお断りも出来ますまい。」と答へ、よくもてなした。これ以来、富士の山は、いつも雪に覆はれて登ることのできぬ山となった。一方、筑波の山は、神のもとに人が集ひ、歌や踊りで、神とともに宴する人々の絶えることは無いといふ。坂東の諸国の男女は、春に秋に、神に供へる食物を携へてこの山に集ひ、歌垣を楽しんだといふ。(常陸国風土記)

 ○筑波嶺(つくばね)に 逢はむと いひし子は

    (筑波嶺の歌垣で逢はうと約束したあの娘は?)

  ()(こと)聞けば 神嶺(かむみね) (あす)ばけむ

    (いったい誰の誘ひを受けて、もう神山に籠ってしまってゐるのだらう)

 筑波山には男体山と女体山(にょたいさん)があり、二つの山の流れが合流して、みなの川となる。

 ○筑波嶺の嶺より落つるみなの川、恋ぞつもりて淵となりぬる   陽成院

 昔、西行法師が筑波山に登らうとすると、岩の上に若い女が立ってゐたので、不思議に思って、歌を詠んだ。

 ○磯遠く海辺も遠き山中に、わかめあるこそ不思議なりけり    西行

 女は実は女体山(にょたいさん)の神の化身で、歌を返した。

 ○筑波とは波つく山といふなれば、わかめあるとも苦しかるまじ 女体山(にょたいさん)の神

 歌に負けた西行は、恥ぢ入って、その場から引き返して下山したといふ。その地を「西行戻し」といふ。「西行戻し」と呼ぶ地は全国に分布し、西行が女や子供に歌で負ける滑稽な話になってゐる。