蚕になった金色姫

日立市川尻町(旧豊浦町)

 むかし天竺に金色姫といふ美しい姫があり、継母に迫害されて桑の木で作ったうつぼ舟で流された。その舟は日本の豊浦の浜(日立市川尻町)に流れ着き、姫は村人に助けられたが、まもなく姫はこの里で息を引きとった。その翌朝、姫の棺の中を見ると、姫は一匹の蚕と化してゐた。村人は、桑の舟のことを思ひ出してこの蚕に桑の葉を与へたといふ。これがわが国における養蚕の始りとされる。日立市川尻町(旧豊浦町)の養蚕(こがひ)神社に歌碑がある。

 ○里人が飼ふこの糸の一筋に祈らば、神もうけひまじやは     本居豊頴

 養蚕神社では、毎年五月五日に近くの小貝(こがひ)ヶ浜から美しい貝を拾ってきて蚕棟にあげると、繭のできが良いとされた。筑波市館の蚕影(こかげ)神社付近を詠んだと思はれる万葉歌もある。

 ○筑波嶺の新桑繭(にひくはまゆ)のきぬはあれど、君がみ(けし)し、あやに着欲しも  万葉集

 東北地方では、養蚕を伝へた神はオシラ様といひ、馬に乗った姫の話になってゐる。