女化稲荷

龍ヶ崎市馴馬町 女化神社

 永正(1504〜)のころ、常陸国河内郡根本村の忠五郎が、土浦の町に(むしろ)を売りに行った帰りに、小野川の近くの高見ヶ原を通ると、猟師が狐を射殺さうとしてゐた。このとき忠五郎は筵の売上げ金を猟師に渡して、狐を助けた。家に帰ると、旅の娘と老人が門口にうずくまり、忠五郎に宿を乞うたので、二人を泊めることにした。翌朝なぜか老人はゐなくなってゐた。娘は、みちのく信夫で父母に死なれ、老僕とともに一族を頼って鎌倉に行く途中だったといふ。娘はそのまま忠五郎の家に住んで田畑を手伝ひ、妻となって三人の子を設けた。

 ある日、母が末の子に(ちち) を与へてゐるところを、長子が見ると、それは狐の母親だった。狐は、見られたことを恥ぢて、一首を残して去った。

 ○みどり子の母はと問はば、をなばけの原になく泣く伏すと答へよ

 忠五郎一家がいくら探しても、母を見つけることはできなかったといふ。村の鎮守の女化稲荷にかかはる伝説である。