平将門

北相馬郡守谷町

 今の鬼怒川と利根川に挟まれた地は、江戸時代までは下総の国に編入されてゐた。関東地方のほぼ中央に当る。古くは霞ヶ浦から入江が続き、鬼怒川と利根川は江戸湾にそそいでゐたので、船の交通の要の地でもあった。天慶二年、北相馬郡守谷の守谷城を本拠に、関東の王国を樹立したといふ平将門は、船で一気に関八州の国府を占拠したといふ。将門戦死の地(岩井市)には、国王神社がまつられてゐる。将門は全身鉄の肉体で生れ、こめかみだけが生身だったとの伝説がある。

 ○将門はこめかみよりぞ射られけり。俵藤太がはかりごとにて