鹿島神宮 要石

鹿島市

 古代の霞ヶ浦は広大な内湾をなし、北は北浦、南は印旛沼、西は手賀沼からさらに今の利根川・鬼怒川流域に広がってゐた。その東の入口に鹿島神宮がまつられた。

 ○浪高き鹿島が崎にたどり来て、東の果てを今日見つるかな    夫木抄

 枕詞に「あられ降り鹿島」ともいひ、鹿島の神(武甕槌(たけみかづち)命)は、天孫降臨に先立って高天原より天降って来た武神とされる。

 ○み空より跡垂れ初めしあとの宮、その代も知らず神さびにけり  夫木抄

 ○めぐり逢ふ初め終りの行方かな、鹿島の宮に、かよふ心は    慈円

 鹿島神宮の要石(かなめいし)は、地震発生の元となる大鯰を、鹿島の神が押さへこんだ大釘の石で、地中深く埋もれて、その深さははかりしれないといふ。香取神宮に続くともいふ。

 ○揺ぐともよもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは     地震除の歌