菊池神社
福岡市城南区七隈
元弘三年、肥後の菊池武時は、後醍醐天皇の綸旨を奉じ、九州探題の北条英時を討たんとして、百数十騎を率ゐて肥後国菊池の居城を出発したが、大友貞経の裏切りにより、北条軍との挟み撃ちにあって、奮戦やむなく自害を決意。嫡子の武重を故郷に帰らせるときに歌を託した。
○故郷に今宵限りの命とも知らでや人の我を待つらん 菊池武時
武時の戦死の地に明治二年に建てられたのが、菊池神社(祭神菊池武時公)である。
元弘三年、肥後の菊池武時は、後醍醐天皇の綸旨を奉じ、九州探題の北条英時を討たんとして、百数十騎を率ゐて肥後国菊池の居城を出発したが、大友貞経の裏切りにより、北条軍との挟み撃ちにあって、奮戦やむなく自害を決意。嫡子の武重を故郷に帰らせるときに歌を託した。
○故郷に今宵限りの命とも知らでや人の我を待つらん 菊池武時
武時の戦死の地に明治二年に建てられたのが、菊池神社(祭神菊池武時公)である。