岡の水門

遠賀郡芦屋町

 遠賀川の河口を「岡の水門」といひ、航海には注意が必要だったやうだ。

 ○天霧らひ西南風(ひかた)吹くらし。水茎(みづくき)の岡の水門に、波立ち渡る   万葉集1231

 仲哀天皇の九州行幸のとき、岡の県主(あがたぬし)熊鰐(くまわに)は、周防国の浦から御船を御案内した。船が岡の水門に至ると、何故か船は進まなくなった。県主の熊鰐は「この浦の口に男女二神あり。男神を大倉主(おほくらぬし)、女神を兎夫羅媛(う ぶ ら ひめ)といふ。この神の心なり」と訴へた。そこで天皇は大和国宇陀の伊賀彦を祝部(はふりべ)にしてこの神をまつらせ、船を進めることができた。のち、神功皇后がこの地に二神をまつったのが高倉神社であるといふ。西へ行くと鐘ノ岬がある。

 ○千早振る鐘の岬を過ぎるとも、我は忘れじ岡の皇神(すめがみ)      万葉集1230

 鐘ノ岬には、織幡(をりはた)神社(宗像郡玄海町)があり、神功皇后の朝鮮出兵のとき、武内宿禰が、この地で赤白の旗を織り、その旗を船に立てて異賊を平定したといふ。宿禰の沓をまつった沓塚もある。宗像山から西には、竹内宿禰、応神天皇、神功皇后の伝説が多い。

 ○筑紫なる宗像山の西に住む翁と君と我をこそいへ       歌枕名寄