唐船塔

福岡市東区箱崎

 むかし箱崎には箱崎殿と呼ばれた豪族があり、唐との貿易を仕事として栄えてゐた。あるとき、港で唐人との諍ひがあり、唐人の祖慶といふ男が捕虜になり、箱崎殿の下働きで使はれることになった。祖慶は良く働き、日本人の妻と結婚して二人の子を設けた。唐の国にも妻子があったのだが、あるとき、唐に残してきた二人の子が、生き別れになった父を捜して、筥崎の港にやってきたのである。親子の再会を喜んだ祖慶は、故郷への思ひを募らせ、日本の二人の子と、合せて四人の子とともに、帰国が許されたといふ。

 ○筥崎の磯辺の千鳥、親と子と泣きにし声をのこす唐船