太宰府

太宰府市

 博多の那津(なのつ)にあった筑紫太宰が、白村江(はくすきのえ)の戦の後、今の太宰府市に移転され、律令制下の地方官衙としての太宰府が定められた。その地方長官である太宰帥としてこの地に赴任した大伴旅人は、万葉集に多くの歌を残してゐる。朝倉郡夜須町あたりを詠んだ歌。

 ○君がため醸みし待ち酒、夜須(やす)の野に独りや飲まむ。友無しにして 大伴旅人

 左遷された菅原道真は、太宰権帥(副官)として赴任し、この地で生涯を終へた。無実を訴へた歌といふのが北九州に伝はる。

 ○海ならず(たた)へる水の底までも 清き心は月ぞてらさむ     菅原道真

 太宰府の南門に当る苅萱(かるかや)の関は、斉明天皇が朝倉宮を建てたときに設けられたものといふ。

 ○苅萱(かるかや)の関守にのみ見えつるは、人も許さぬ道辺なりけり    菅原道真

 近くを流れる染川には、道真没後、入水して後を追ったといふ侍女の墓も伝はる。

 ○筑紫なるおもひ染川渡りなば、水やまさらむ。淀むときなく  後撰集

 道真の没後には復権がなされ、延喜十九年に墓所(安楽寺)に社殿が造営されて、太宰府天満宮が創建された。

 ○いにしへの光にもなほまさるらん。しづむる西の宮の玉垣   拾玉集

 大宰府天満宮の梅は京都の菅公の家から飛んで来たものといひ、「飛梅(とびうめ)」と呼ばれる。

 ○飛梅(とびうめ)の香をなつかしみ、立ち寄りて昔しのべば、花のさゆらぐ 西高辻信稚

 ○東風吹かば匂ひおこせよ、梅の花、あるじなしとて春な忘れそ 菅原道真