香椎宮

福岡市東区香椎

 仲哀天皇と神功皇后が、筑紫橿日宮(つくしのかしひのみや)に行幸されたとき、天皇はここで崩御されたが、皇后は、神託により新羅征伐に向かはれた。帰国後、天皇の墓所に社殿を建ててまつったのが香椎宮(かしひのみや)である。のち皇后の霊も合祀された。神亀五年に、太宰帥らが参拝したときの歌。

 ○いざ子ども。香椎(かしひ)の潟に、白妙(しろたへ)の袖さへ濡れて、朝菜摘みてむ 大伴旅人

 ○行き帰り、常にわが見し香椎潟、明日ゆ後には、見むよしも無し 宇努男人

 後の世の歌。

 ○ちはやぶる香椎の宮の綾杉は神のみそぎに立てるなりけり   新古今集