筑紫の枕詞「しらぬひ」を「不知火」と書くやうになったのは、室町時代に宗祇が肥後国を旅して八代湾の漁(いさ)り火を見たころからであるらしい。北九州(筑紫国)では綿の栽培が古代から行なはれ、土地の名産であったことから、万葉時代には「白縫」と表記された。 ○白縫、筑紫の綿は、身に著(つ)けて未(いま)だは着ねど、暖けく見ゆ 沙弥満誓