烈女お初

浜田市

 享保のころ、浜田藩の江戸屋敷で、岡本道女といふ娘が腰元として働いてゐた。ある日道女は、急ぎの用があって、人の草履を履き違へてしまった。草履の持ち主は落合沢野といふ老女のもので、怒った沢野は道女を草履で打ちすゑた。道女もそこは武士の娘、死んで汚名をはらさうと、辞世を詠んで自害した。このとき二一才といふ。

 ○藤の花、長き短き世の中に、散り行く今日ぞ、思ひ知らるる    岡本道女(辞世)

 道女の召使のお初(松田察)は、主人の無念さを思ひ、沢野に対して仇討を決行した。このお初の行ひは、お咎めを受けるどころが、かへって忠節を賞賛され、道女の後継に召し抱へられたといふ。歌舞伎「鏡山旧錦絵」に作られた。

 ○浜田育ちは気立てがちがふ。烈女お初の出たところ