交野

枚方市 片埜神社

 垂仁天皇の皇后の葬儀のときに埴輪を考案した野見宿禰(の みのすくね)は、土師臣(はにしのおみ)の姓を賜り、河内国に所領を賜った。河内の土師一族は、その氏神として片埜(かたの)神社(枚方市)を創祀し、出雲国の祖神の素戔嗚尊をまつった。後世に土師氏の後裔の菅原道真が合祀された。

 野見宿禰が埴輪を造って古墳の副葬品として以来、殉死の制が廃止されたといはれてゐたが、わが国に殉死の史実が確認されないことから、殉死廃止の話は大陸の説話を習合したものと考へられてゐる。

 交野(かたの)の地は、遊猟の地、桜の名所として知られ、伊勢物語では惟喬親王と在原業平が、渚の院の桜や、天の川をめでた話が伝はる。

 ○世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし     在原業平

 ○狩り暮らし、棚機女(たなばたつめ)に宿借らむ。天の河原にわれは来にけり    在原業平