住吉神社

住吉区

 住吉(すみよし)神社は、神功皇后の新羅征伐のときにまつられたといひ、航海安全と軍の神として信仰されてきた。古くから歌垣も開かれ、万葉時代には、その集ひを「墨江(すみのえ)小集楽(をずめ)」といった。

 むかし田舎のある夫婦が、住吉の歌垣の集ひに参加したとき、妻の美しさが他のどの女よりも増して一番だったものだから、男はますます妻のことを愛しく思ひ、歌を詠んだ。

 ○住吉(すみのえ)のをづめに出でて、まさかにも、己妻(おのづま)すらを、鏡と見つも   万葉集3808

 住吉の神は、和歌の神としても信仰され、和歌三神とは、住吉の三神(上筒之男(うはつつの を )命、中筒之男命、底筒之男命)のことともいひ、住吉と玉津島明神と天満宮のことだともいふ。

 ○(しめ)結ひてわが定めてし住吉の浜の小松は、のちもわがまつ     余明軍

 社地の西方は浜になってゐたが、時代とともに浦は浅くなり、慶長のころから、干拓や新田開発が盛んに行はれた。

 ○住吉の新田ふえて年々に、あとずさりする岸の姫松        太田南畝