難波の橋姫

 むかし都を離れて難波に住んでゐた中将があった。二人の妻があったが、本妻の宇治の橋姫は、長くつはりで苦しんでゐた。七色のわかめが効くといふので、それを求めて中将は、難波の海に出たが、そのまま三年たっても帰らなかった。

 橋姫が夫をさがして夕暮の浜辺をさまよってゐると、一軒の家があった。家に入ると、老婆があり、老婆の話に、中将は竜宮に行って婿になったと聞かされた。老婆は、今夜中将が来るので迎へにゆくといひ、橋姫に火にかけた鍋の中を決して見てはいけないと言ひ残して部屋を出た。橋姫が言ひつけ通りに待ってゐると、隣の部屋で酒盛りの声がする。老婆が現はれて、橋姫に隣の部屋を覗かせると、もののけの宴の中で、やつれた姿の夫が、歌ばかり繰り返して歌ってゐた。

 ○さむしろに衣かたしき今宵もや、我を待つらむ宇治の橋姫     古今集

 かうして老婆のはからひで、橋姫と中将は、涙の対面を喜びあったが、中将は身の不遇を嘆き、再会を約束してその日は別れることになった。

 橋姫は、夫に逢へた喜びを、中将の別の妻に語った。するとその妻も一人で浜の老婆の家に出かけた。ところが妻は「鍋を見るな」の言ひつけも守らず、中将の「さむしろに」の歌に、橋姫ばかりに思ひを寄せてゐると嫉妬し、老婆の家を飛び出した。門の外に出て振り返って見ると、今まであった家は消えてなくなり、ただ砂浜の上に板屋貝が一つあるのみだったといふ。中将は二度と戻らず、橋姫は別の妻に語ったことを悔やんだといふ。

 ○ちはやぶる宇治の橋姫、(なれ)をしぞあはれと思ふ年の経ぬれば    奥儀抄