道成寺

日高郡川辺町

 醍醐天皇のころ、奥州白河に安珍といふ僧があり、毎年の熊野詣の折り、紀州牟婁郡の真砂庄司の家を宿としてゐた。この家に清姫といふ幼い女の子があり、ある年、安珍が宿を借りたとき、戯れの話に、妻にして奥州へ連れて帰らうなどと言ったことがあった。この言葉を幼い女の子は心に深く刻みこんでゐた。

 延長六年秋、安珍がこの家に泊ったとき、十三歳になった清姫が、寝床に忍び込んで来て結婚を迫った。安珍は熊野の参詣を終へてからもう一度立ち寄るからと、歌を交はして旅立った。

 ○先の世の契りのほどを、み熊野の神のしるべもなどか無からむ   清姫

 ○み熊野の神のしるべと聞くからに、など行く末の頼もしきかな   安珍

 安珍は修行の身で結婚などできず、後悔の念にかられた。清姫は、なかなか帰らない安珍を捜しにさまよひ歩いた。道行く人に尋ねると、すでに安珍は牟婁を離れて逃げようとしてゐた。必死の形相で追ひかける清姫は、蛇体となって切目川、天田川を一気に渡り、道成寺へ至って安珍が釣鐘の中に隠れると、釣鐘を七巻きに巻いて怒り狂ひ、激しい炎で鐘もろとも溶かして灰にしてしまった。蛇はそのまま入り江に沈んで行方はわからなくなったといふ。

 ○恐ろしな胸のおもひに沸きかへり惑ひし鐘も湯とやなりけん    似雲法師