糸鹿山

有田市糸我町

 有田市糸我町中番の稲荷神社には、京都の伏見に稲荷の神が降臨した一七〇年前に、稲荷の神が現はれて豊作をもたらしたといふ。

 ○熊野道のいと高山のこなたなる、宇気(うけ)の女神の森の木々に、

   御饗(みあへ)盛りなす雪野おもしろ

 右の歌の「宇気の女神」は稲荷神のこと、「いと高山」か縮まって糸鹿(いとか)山となったといふ。

 白河院の熊野御幸の折り、紀伊国の糸鹿坂に輿をとどめて、しばし休息された。そのときお伴の平忠盛が、近くに根を伸ばしてゐたぬかご(山芋の子)を掘って献上した。

 ○いもが子は這ふほどにこそ成りにけり(妻の子は這ふほどに成長しました)

 白河院のこたへた歌。

 ○ただもりとりて養ひにせよ(忠盛が育てよ)

 歌に詠まれた子とは、平清盛のことである。平氏は、厳島の神とともに熊野の神を深く信仰し、源氏の八幡神崇敬と対抗するかのやうであったといふ。