青墓の宿 野上の里

大垣市青墓、野上

 東山道不破の関を過ぎて東の青墓(あをはか)の宿は、平安末期頃には遊女や傀儡(くぐつ)の芸人たちで賑はった町である。青墓は後白河院の今様歌にも読まれ、また源氏と縁が深く、保元の乱に敗れた源為義、平治の乱に敗れた義朝が隠れ住み、それぞれ青墓長者の娘との間に子を設けてゐる。

 ○ひと夜見し人のなさけは、たちかへり心に宿る青墓の里      慈円

 青墓の西の野上の里にも遊女の伝説がある。むかし野上長者の家に花子といふ遊女がゐて、京から東国へ向ふ吉田少将と一夜の契りを結び、再び逢ふ約束に、互の扇を交換した。以来花子は自室に籠ってゐるばかりなので、長者に追ひ出され、気がふれてさまよひ歩き、京で少将と再会したといふ。

 ○一夜かす野上の里の草枕、結び捨てける人の契りを        藤原定家