信夫のもぢずり絹

福島市山口文知摺観音

 みちのく信夫の絹織物「もぢずり絹」は、「みだれ染め」といはれる模様に特色がある。模様染めの型に使ふ石を、文知摺石といひ、この石に草木の色を付着させて、さらに布に写して染める。古く天智天皇のころから土地の名産として都に献上されたといふ。

 むかし中納言河原大臣源融(みなもとのとほる)といふ人が、陸奥按察使(あぜち)として大和から陸奥国に赴いた。中納言が信夫の里の杉野目長者の家に泊まったとき、長者の娘の虎女と恋仲になった。任を終へて都へ帰ることになった中納言は、虎女に必ず迎へに来ると言ひ残して旅立った。しかし都からは、いつまでたっても手紙さへ来ず、虎女は観音さまに悲願を掛ける毎日だった。やがて虎女は身を患って重い病の床に臥した。虎女の病の噂は都にも届き、これを知った中納言は、絹織物に添へて恋歌を送った。

 ○みちのくのしのぶもちすり、誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに  源融

(陸奥の信夫を思ひ文知摺の模様のやうに思ひ乱れる我は、他のどの女のせいでもない)

 虎女は中納言の心が嘘でなかったことを知り、安らかに息を引き取ったといふ。長者は娘を哀れんで、願を掛けた観音堂近くに塚をつくって埋葬したといふ。

 ○早苗とる手もとや昔しのぶ摺                  芭蕉