ソフト探し

古文書の整理のためのソフトを探している。
軽いソフトで、多数の画像を表示して縦書き表示、文字飾りは見出し文字と注釈用小文字くらいで十分、できればアウトラインプロセッサのような機能が欲しい。

しかしアウトラインプロセッサの類は、縦書きのものはあまり見かけず、画像はほとんど不可であるらしい。「文章書きのプロ」が使うと謳ってあるのに縦書き不可とはどういうことだろうか。
軽いワープロソフトでは、古いものだが、松風やVJE-Penなどは画像はBMPのみ。重い(?)エディタのWZなども同様。リッチテキストは、保存ファイルがBMPよりも更に大きなファイルとなって重くてしかたがない。
結局、エディタによるHTML作成と一太郎ライト2とを併用している。

HTMLは、MSのIE(インターネットエクスプローラ)の縦書き表示を使用。印刷ではヘッダやフッタが不自由なので、書籍用というわけにはいかない。

ある程度できあがったHTMLを一太郎ライトで読み込む。このソフトは画像を専用ディレクトリにコピーしているようだが、文書ファイルには画像は含まれないので、ファイルは大きくはならない。(余談だが、以前入手したMSエクセルのファイルをWindows98で閲覧する方法はないかと思案したとき、一太郎ライトで表示できたので、そのときから重宝している。)
しかし多数のファイルの中身をちょっと確認するためだけのときは、ワープロは不自由ではある。

もう一つ面白いソフトがあって、「ネタの種」というソフトで(「紙」というフリーソフトをJustSystemが買い取ったもののようだが)、HTMLの画像を表示したまま縦書きで編集ができ、アウトラインプロセッサに似たところもある。しかしこれも画像を専用フォルダにコピーしているようだ。
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近世古文書の世界

神話の森のホームページ内に、新しく、江戸時代の村の古文書についてのコンテンツを開設する予定です。(4月の予定)
最近は江戸時代への関心が高まっているらしく、一般に知られた著名な研究家といえば故杉浦日向子氏など、江戸時代の庶民の生き生きとした生活ぶりが、現代の世知辛い世の中と対比されて紹介され、見直されています。
ところがそういったことは、江戸など一部の都会の町民たちの間の話であって、国民の圧倒的多数を占めた地方の農民たちの生活については、伝統的な信仰生活についてはよく語られますが、それらを除けば、経済的な貧しさであるとか、支配者の言いなりだったとか、そんなことばかりが強調されてきたようなところがあります。
我々の先祖について、無能で支配者の言いなりだったという見方には、「有能な現代社会の自分」という考えが前提になっています。現代人はそれほど有能でしょうか。
ま、そういった反省も大事かと思います。

アーカイブやカテゴリのページの表示が遅いときがありました。
もしやと思い、一年分のアクセス解析のログをサーバーから削除して様子をみます。一年分の量が73メガバイトもありました。もっと少なく済むものに変えたいところです。
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江戸時代の米の値段

江戸の慶安の頃の米の値段が、1両で1石7斗だったことがあったらしい。
どのくらいの値段なのかを考えてみた。

まづ、1石は10斗、1斗は10升。1升とは約1800ccのことで、これらは体積の単位である。
重さでは、米の1升は1.5kgくらいだそうである。1斗が約15kgになり、4斗で約60kg、現在は米1俵は60kgくらいなので、およそ4斗で1俵ということになる。

さて1石7斗では少々半端なので、少し高めに1両で1石6斗のときもあったろう。1両で16斗ということになり、現在の4俵ということになる。(江戸時代は1俵は一定でなく凡そ4斗弱くらいだったらしい)

現在の米の値段は、米屋では60キロ(1俵)で18000円くらいではなかろうか。その4倍の4俵分が72000円。江戸時代に4俵で1両したこともあったので、したがって江戸時代の「1両は今の約7万円」と書いてある本も多いわけである。物価の比較を米の値段だけで決めていた学者の時代が長かったせいもあるが、やはり今の米が安すぎるせいである。

江戸時代の大工さんの月収が約1両なので、最低でも1両は32万円(https://nire.main.jp/sb/log/eid103.html)、米1俵は8万円になる。10キロの米が13000円以上になるので、かなり高かったことになる。食料や衣料品は昔は高価だったわけである。
1両で4俵とすると、1両は4分なので、ちょうど1分で1俵買えることになる。凡その計算であるが、おぼえやすい数字である。ただしこれは安いときの値段のようであり、その5割増し(1俵が1分2朱)くらいが江戸中期の平均的な米価だったようだ。
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伊勢参宮通行手形

最近テレビ番組でも伊勢神宮の話題をときどき見かけるのは、平成25年に行われる国民的行事の式年遷宮のことがあるからであろう。
伊勢について https://nire.main.jp/rouman/fudoki/31mihe.htm
伊勢といえば伊勢参り、江戸時代から盛んだった伊勢参宮の旅の話題もよくとりあげられる。
江戸時代は長旅には通行手形がないと関所を通れなかった。写真画像は幕末のころ実際に使用された通行手形である。読んでみよう。(歴史的仮名遣)

通行手形
差上申手形一札(さしあげまうすてがたいっさつ)の事
   白須甲斐守知行所
    武州幡羅郡原ノ郷村
     名主 権左衛門組下
       百姓 庄八
        弟 龍三
         当年三十五才
右の者壱人 今度(このたび) 伊勢参宮
罷(まかり)通り候(さうらふ)間(あひだ)
御関所 無相違(そういなく) 御通し被遊候(あそばされさうらふ) 仍て如件(よってくだんのごとし)
 元治元年  右名主 権左衛門
  子 六月   組頭 惣右衛門
           七右衛門
横川御関所
 御役人衆中様

武蔵国から中山道を歩き、碓氷峠手前の横川の関所を通るための手形である。
普通は村の中から選ばれた数人が代参として出かけるが、手形は一人一通なのだろうと思う。この手形は夏の六月(旧暦)のものだが、早春に旅立って田植前に帰国する例が多いと思う。早春に出かける場合は暖かい東海道を通って帰りは中山道信州廻りが普通である。
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高橋泥舟

高橋泥舟「幕末の三舟」とは勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟のことだが、高橋泥舟はあまり表立ったことは好まなかったらしい。
事典で見た肖像は二枚目役者のような優しい面立ちだったが、終生武道(槍術)を愛し、書にも力強いものがある。
画像の書には、

 法眼看軽薄 (法眼は軽薄を看)
 虚情任屈伸 (虚情は屈伸に任す)

と書かれてある。
「法眼」とは仏教用語でもあるが、ここでは成熟してある領域に達した知識といった意味だろうと思う。法眼は軽薄を看破するという。そうだろう。
「屈伸」とはたぶん、ペコペコ頭を下げたり、ふんぞりかえったりするような「屈伸」のことで、「虚情」とはそんなことしかできないのだという。その通りだろう。
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縦書き表示


「白山比咩命」の「咩」はユニコードで記入するのが良いという話を去年書いたが、
https://nire.main.jp/sb/log/eid134.html
最近は、グーグルの検索で、IBM拡張漢字のコードでも区別なく検索でき、文字化けもなくなったようである。

「大日孁貴尊」で検索してウィキペディアを見ると、江戸時代のものだろうか、錦絵の画像が挿入されていた。日本の神話を題材にした絵は個人的にまあまあ収集したが、錦絵、浮世絵の類は、著作権上問題は少ないと思う。しかし描かれた時代の通俗性のようなものが強すぎる絵柄も少なくなくて、現代のイメージに合わないものもある。ウィキペディアの絵はまあまあ良いと思う。


さて、WEBでの縦書き表示が、意外に簡単にできることがわかった。
<div style="writing-mode:tb-rl"> 文章 </div>
IEでは右のようにすると良いようだ。
そこで昔テキストファイルにしてあった「神代系図」を、縦書き表示でアップした(先月)。
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『別冊太陽・宮本常一』

先月発売の『別冊太陽』は、「宮本常一 生誕100年記念」ということだった。
むかし古書店で手に入れた平凡社の『風土記日本』(宮本常一編集)というシリーズは、よく読んだもので、ホームページの「歌語り風土記」でもよく参考にした。
青森県のの話や、飛騨の匠の話、そして広島県の能地の浮き鯛のページの最後の1行は『風土記日本』を参考にした。(どれも叙述内容が短かすぎて物足りないのは、300ページの印刷物に押しこめる予定で書き上げたせいである。)

その最後の1行には、船を家として生活していた漁民たちのことにふれてある。彼らが「平家の落人」だというのは後世の付会だろうが、そんな説明を加えなくても、「船上生活」の人たちは日本中にたくさんいたようで、昭和30年代のNHKテレビの少年ドラマ(題名はポンポン大将だったか)でも、東京の下町で船を家として生活する家族が描かれていた。それほど古い時代のことではない。

日本人の住宅が、床の高い構造をしているのは、もともと船の上で生活していた長い歴史の名残りではないかと、宮本常一氏はいう。そうなのかもしれない。氏の出身は山口県の瀬戸内の周防大島で、瀬戸内での生活実感からの言葉でもあるのだろう。

船の家というのも、懐かしい風景である。
日本の八百万の神さまは、それぞれのお社に御神体をお持ちだが、御神体を納める器のようなものを「御船代(みふなしろ)」という場合がある。「船の代り」でもあるが、船の形をしているものもあるらしい。神々の住まいであることは、人の遠い先祖の住まいだったのかもしれない。

 いづくにか船泊てすらむ。安礼(あれ)の崎漕ぎ廻(た)み行きし棚無し小舟   高市黒人

有名な万葉歌だが、「棚無し小舟」の解釈が通説では合理的すぎるような気がしている。

さて「能地の浮き鯛」といえば、広島大学の生物学者、長沼毅氏のことが思い出されるが、最近NHKテレビの「プロフェッショナル」という番組の特集に登場され、25日の再放送を見ることができた。「生物学界のインディ・ジョーンズ」とも言われているらしく、注目の人であることは間違いない。
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文久四年の暦

文久四年の暦木版一枚刷の古い暦が、物置から出てきた(画像クリックで拡大)。

「文久四(年)甲子」とある。
「甲子」は六十干支の始りであり、甲子年には改元されることが多く、江戸時代も1624年・寛永 1684年・貞享 1744年・延享 1804年・文化 と改元され、この年(1864年)も2月20日に元治元年と改元された。

大の月は3、5、7、8、9、11月、小の月は1、2、4、6、10、12月とある。
太陰暦なので大の月は30日、小の月は29日である。太陽暦になると大の月は31日で、小の月は必ず「二、四、六、九、十一」月になり「西向く士(さむらい)」とおぼえることになった。

さて文久4年は、大の月は7、8、9月と連続し、小の月は1、2月と連続している。たまたまこうなったということだろうか……。

太陰暦には閏月というのがある。閏月の決め方は、地球の公転軌道の1周360度を30度づつに12等分し、更に24等分したときの地点の日が二十四節気である(これは現在も同じ)。そして二十四節気の中気である春分の含まれる月は旧暦の2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月などとなる。画像では太字で書かれた月の漢数字の左に「中十六日」などとあるのが中気の日である。そして約3年に一度、12の中気が含まれない月があり、これが閏月となる。
節気は角度で決めるので、節気から節気までの期間は、地球が太陽から少し遠くなる7〜8月前後は少し長くなるが、月の一周はほぼ一定なので、一年のうちでも5月〜10月ごろが閏月がやや多くなる傾向がある。

文久四年の暦の下のほうを見ると、「初午2月11日、ひがん2月10日、社日2月17日」とある。2月17日は祈年祭の日でもある。
「八十八夜3月28日、入梅5月3日、半夏生5月29日、二百十日7月30日、冬至11月23日」、11月23日は新嘗祭だが、新嘗祭は冬至祭の要素もあるので、この年はぴったりの日である。ただし新嘗祭は11月の2回目の卯の日とされたこともある。
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日本地図

日本地図社会科の地図帳は小学生のころからよく眺めていたものだが、最近はパソコンで見る地図が便利そうにみえる。
ところがパソコンの地図は、検索できるのは、人の住む住所や公共建物・レジャー施設ばかりで、自然の山や川などの名前を検索しようとしても、できない。
ネットのMapFanで岩手県宮古市の「とどヶ崎」を検索したら、ユーザー情報として、どなたかが登録した内容が表示されたが、これは例外のようだ。ちなみに「とどヶ崎」の「とど」は「魚へんに毛」と書く。

そういうときは、やはり地図帳が役に立つ。
画像は、国際地学協会発行の『日本地図』。巻末の索引に、山や川や島などの名前7000余りが掲載されている。ただし、例えば島の名前で、「○○島」という見出しの「○○」の読み方は載せているが、「島」の読み方は省いてある。シマ、ジマ、トウ……、どう読むのかわからないのだが、おそらく索引を作った人もわからなかったのだろう。
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歴史的仮名遣

神話の森のホームページは、多くのページが歴史的仮名遣で書かれている。しかしブログはそうではない。最近、歴史的仮名遣を間違えることがあるのは、ブログ以外の更新が少ないからだろう。そこでホームページでまだとりくんでいない「歌語り歳時記」、「千人一首」、「日本の神話・詳述版」についてとりかかろうと思う。もちろん歴史的仮名遣になる。

歴史的仮名遣は、丸谷才一氏のほか、阿川弘之氏だとか、普通の小説やエッセイが読まれているので、将来もまったくなくなることはなかろうと思う。廃れてしまった原因について、丸谷氏がいうには福田恆存氏が良くなかったという。それは一種の急進主義のようなもので、送り仮名だけでなく、漢字の字音仮名(たとえば缶詰はクワンヅメ)、さらに当用漢字ではなく本字で書かなければならないという主張が一部で支持を得てしまったからで、狭い範囲のグループの中では急進的な発言は支持を得やすいのだという。極論になって世間と乖離してしまったということだ。今日の皇統の男系主義と似たようなものだろう。
あるいは急進主義のほかに、日本人の技能主義のようなものもあるのではないかとも思う。

技能主義とは、左甚五郎が彫った馬が歩きだすのは、甚五郎の技能への崇拝があるからで、戦のルールを無視した源義経が支持されるのは、戦術の奇抜さへの畏怖のようなものがあるのだろうし、そういったことである。これについてはあとで書いてみたい。

ところでネットでも「大祓詞」を見かけることがあるが、数年前いくつか見た範囲では、ふりがななどの仮名遣の間違いのないものは、「玄松子の記憶」というサイトのものだけだった。1つのデータに対しての誠実さは保証できるということがいえると思う。
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