言葉の話〜「迷惑」「困窮」

迷惑という言葉は、迷い惑うと書く。
ある迷惑を被っている人があり、その人の顔を見ると、何かに迷っているという風ではなく、怒りを押さえ切れないような顔をしている。
おそらく、迷惑という言葉の意味が、昔より広がったのだろうと思う。
不快な感情を直接に表現することを、みっともないと思って迷っている、といった意味から始まったのではないかと思う。

企業の不祥事の際に、「消費者に迷惑をかけたことをお詫びする」とは言うが、
「損害を与えたことを謝罪する」とはなかなか言わない。そのように明確に言ってくれたほうが、わかりやすいときがあると思う。

次に
「困窮」という言葉についてだが、どうしていいかわかずに困っている、それが限界に達している、という意味の言葉である。元はそれだけの意味であり、貧乏という意味はない。
江戸時代の古文書類に多いのあが借金の證文や、「質地證文」であるが、
質地とは土地(農地が多い)を質に入れて借金することである。実際は借金を返済せず、質流れにしてしまい、実質は土地の売買なのである。
江戸時代は、農地の売買は禁止されていたことが、その背後にある。證文をよく読むと、金銭が必要であるのに、売買ができないので、困っているという意味で「困窮」という言葉が使われているようである。土地を質入れするのは、一種の脱法行為なのだが、困ることも限界なので、脱法行為もやむを得ない。そのような意味である。
 そこにあるのは、法令遵守の考えかたであろう。脱法行為もあってはならない。質入は売買とは異なるので違法とはならないのだというような屁理屈(リベート)を考えるのは現代人であって、昔の人の感が得は違っていたというのは、重要だと思う。

 質地證文では、さらに、このままでは年貢も払えないようなことがよく書かれる。このへんから、困窮を「貧困」と誤解していった人もあったのだろう。しかし文脈をたどってみると、年貢を払わなかったら困るのはあなたがた武士でしょう、それで良いのですか、それでは武士が困るでしょうから、売買や質入もやむを得ないでしょう、と読めるのである。

 また質地證文は、金融の一種と見えも良いのではないか。江戸時代は長いので、どの家でも一度や二度の母屋普請はあったであろうし、その他にも大金が必要な時はある。そのためにどの家でも現金を箪笥貯金にするというのは、危険ではないかと思う。そういう場合は、村人どうしで融通しあうのが一番安心で確実である。

古文書実例集などで、「金融」などという分類名で、頼母子講や伊勢講の積立ての文書を分類して「近代的な金融の萌芽」などと説明を付ける本もあったが、形式論と言わざるをえない。もっと桁の違う大金を個人が動かすこともあったのである。質地などの村人どうしの金融は、明治以後には商業資本によって独占されてしまうことのほうが問題であろう。

次に「飢饉」という言葉について書こうと思ったが、次回とする。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

  page top