蝦夷と東国武士
NHKテレビの歴史番組を途中から見たのだが、
上古以前から朝廷による東北地方の蝦夷(えみし)の平定があり、一定数の蝦夷が関東以西に移住し、移住した蝦夷と新しく勃興した武士団との関係の話だった。
蝦夷の移住先は関東が多かったのだが、源氏や平氏などの「王臣子孫」たちも関東に移住し、警察軍事に蝦夷を組み込んで、関東を平定し、さらに力をつけていったという。関東武士の「強さ」は蝦夷の馬上からの弓術などの戦術を受け継いだことが大きいという。
中公新書の高橋崇『蝦夷』を読んだとき、蝦夷はアテルイの前後の時代から、関東以西に移住したが、史書には「俘囚」などと差別的な表現で表記されていて、東北での蝦夷の力を削ぐための強制移住のように受けとめられていた。しかし移住先では税の優遇などがあった記録があり、朝廷の何かの目的のための移住のようにも思えた。
所謂渡来系の新羅人などの移住の記録では、差別用語は使われないが、差別用語の理由は、中華思想(周辺の野蛮人までが理想的な王を理解・尊敬し支配を受け恩恵も受けるという)を無理に列島内に当てはめたためなので、それを捨象すると、どの移住もみな同じと理解すべきと思っていた。記録では、蝦夷にもみな姓?ないし苗字がある(そのときにできたのかもしれないが)。
NHKで解説したのはおもに河合敦氏で、新書判など多量の著作があり歴史雑学的な印象なのだが、奇を衒うような自説を押し付ける本ではなく、最新の学説の紹介も多いので、青春新書『最新の日本史』などを見てみると(55p)、桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』(ちくま新書)からの紹介があった。
「【貴姓の王臣子孫 × 卑姓の伝統的現地豪族 × 準貴姓の伝統的武人排出氏族(か蝦夷)] の融合が、主に婚姻関係に媒介されて果たされた成果だ」(桃崎)という。(桃崎氏もNHKで少し解説あり)
桃崎氏の本は注文したばかりで未着。
蝦夷の馬術の起源について考えると、軍事なら蝦夷内の争いも多かったことになり、狩猟なら鹿などの足の速い獣が多かったことになる。蝦夷自身も足が速かったかもしれない。八束脛のような男たちが加われば武士団も強くなるであろう。蝦夷は一方的な従属ではないはずだが、現実的な取り引きのほかに、伝統的な宗教観などにもよるとしたら、それは何であろうか。花嫁が馬に乗るのは、養蚕の神が馬に乗っていたからだろうが、なぜ養蚕と馬が結びつくのか、などなど、疑問はふくらむ。
「貴姓と卑姓のむすびつき」については、この島国の独自のもののようであり、生活の隅々にまで染み込んでいるもののような気がする。
上古以前から朝廷による東北地方の蝦夷(えみし)の平定があり、一定数の蝦夷が関東以西に移住し、移住した蝦夷と新しく勃興した武士団との関係の話だった。
蝦夷の移住先は関東が多かったのだが、源氏や平氏などの「王臣子孫」たちも関東に移住し、警察軍事に蝦夷を組み込んで、関東を平定し、さらに力をつけていったという。関東武士の「強さ」は蝦夷の馬上からの弓術などの戦術を受け継いだことが大きいという。
中公新書の高橋崇『蝦夷』を読んだとき、蝦夷はアテルイの前後の時代から、関東以西に移住したが、史書には「俘囚」などと差別的な表現で表記されていて、東北での蝦夷の力を削ぐための強制移住のように受けとめられていた。しかし移住先では税の優遇などがあった記録があり、朝廷の何かの目的のための移住のようにも思えた。
所謂渡来系の新羅人などの移住の記録では、差別用語は使われないが、差別用語の理由は、中華思想(周辺の野蛮人までが理想的な王を理解・尊敬し支配を受け恩恵も受けるという)を無理に列島内に当てはめたためなので、それを捨象すると、どの移住もみな同じと理解すべきと思っていた。記録では、蝦夷にもみな姓?ないし苗字がある(そのときにできたのかもしれないが)。
NHKで解説したのはおもに河合敦氏で、新書判など多量の著作があり歴史雑学的な印象なのだが、奇を衒うような自説を押し付ける本ではなく、最新の学説の紹介も多いので、青春新書『最新の日本史』などを見てみると(55p)、桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』(ちくま新書)からの紹介があった。
「【貴姓の王臣子孫 × 卑姓の伝統的現地豪族 × 準貴姓の伝統的武人排出氏族(か蝦夷)] の融合が、主に婚姻関係に媒介されて果たされた成果だ」(桃崎)という。(桃崎氏もNHKで少し解説あり)
桃崎氏の本は注文したばかりで未着。
蝦夷の馬術の起源について考えると、軍事なら蝦夷内の争いも多かったことになり、狩猟なら鹿などの足の速い獣が多かったことになる。蝦夷自身も足が速かったかもしれない。八束脛のような男たちが加われば武士団も強くなるであろう。蝦夷は一方的な従属ではないはずだが、現実的な取り引きのほかに、伝統的な宗教観などにもよるとしたら、それは何であろうか。花嫁が馬に乗るのは、養蚕の神が馬に乗っていたからだろうが、なぜ養蚕と馬が結びつくのか、などなど、疑問はふくらむ。
「貴姓と卑姓のむすびつき」については、この島国の独自のもののようであり、生活の隅々にまで染み込んでいるもののような気がする。