「群馬の習俗」
28日の午前中に受信圏内にある群馬テレビで、予定されていたスポーツ番組が雨で中止になったので『群馬の習俗』という2時間の記録映画を放送していた。
昭和30年代後半ごろの映像と思われるが、活字でしか知らなかったちょっと前までの日本のどこにでもあった年中行事などが実写の映像でたっぷり紹介されていた。最初の20分くらいを除いて録画し、あとでゆっくり見ることができた。
録画できなかった部分のうち、録画スイッチを押す直前の数分のあいだに見ることができた映像に、3月3日の子供たちの行事があった。村の数人の子供たちが集まって、春の陽射しの中で自分たちで煮炊きをして、ちゃぶ台をかこんで食事をする風景である。秋田のかまくらに似ているが、子供たちの周囲には、60センチほどの高さに平たい石を積み上げて、石垣の囲いを作っていた。
春先の3月ごろに村の子供たちが集まって、春の野菜などを煮炊きする行事は各地にあったというが、戦後はお菓子をいただいて食べるだけになったところもあったらしい。新年の鳥追いや、春の若菜摘みなどと共通するものなのだろう。
祝日の「子供の日」は3月3日にしたほうが良かったような事例はたくさんあったらしく、5月5日はいわば「成人の日」のような行事が多かったらしい。
旧暦10月の「とおかんや」は、埼玉県秩父地方のとおかんやと、唱え言葉も含めてほぼ同じようなやりかたである。藁鉄砲といって、わらを棒状に作り、それを振り回すように地面をたたくことについて、地中のモグラを追い出して来春の麦の豊作を祈るのだというナレーションがあったが、内容が具体的すぎるので近世の解釈なのではないかと思うが、調べてもよくわからない。収穫を終えて田の神の神送りの行事に関連するものだろうとは言われている。
昭和30年代後半ごろの映像と思われるが、活字でしか知らなかったちょっと前までの日本のどこにでもあった年中行事などが実写の映像でたっぷり紹介されていた。最初の20分くらいを除いて録画し、あとでゆっくり見ることができた。
録画できなかった部分のうち、録画スイッチを押す直前の数分のあいだに見ることができた映像に、3月3日の子供たちの行事があった。村の数人の子供たちが集まって、春の陽射しの中で自分たちで煮炊きをして、ちゃぶ台をかこんで食事をする風景である。秋田のかまくらに似ているが、子供たちの周囲には、60センチほどの高さに平たい石を積み上げて、石垣の囲いを作っていた。
春先の3月ごろに村の子供たちが集まって、春の野菜などを煮炊きする行事は各地にあったというが、戦後はお菓子をいただいて食べるだけになったところもあったらしい。新年の鳥追いや、春の若菜摘みなどと共通するものなのだろう。
祝日の「子供の日」は3月3日にしたほうが良かったような事例はたくさんあったらしく、5月5日はいわば「成人の日」のような行事が多かったらしい。
旧暦10月の「とおかんや」は、埼玉県秩父地方のとおかんやと、唱え言葉も含めてほぼ同じようなやりかたである。藁鉄砲といって、わらを棒状に作り、それを振り回すように地面をたたくことについて、地中のモグラを追い出して来春の麦の豊作を祈るのだというナレーションがあったが、内容が具体的すぎるので近世の解釈なのではないかと思うが、調べてもよくわからない。収穫を終えて田の神の神送りの行事に関連するものだろうとは言われている。