月の呼び名
最近の歳時記の本などで30日間の月の呼び名の一覧表などを見ていると、30個の等価値の情報が並列的に並べられているだけに見えることがある。日本人がどの月を重視して来たかの強弱のポイントが書かれていたほうがわかりやすいと思う。
旧暦15日が満月で、望月ともいう。平安時代に権勢をほしいままにした人の歌に
この世をば我が世とぞ思ふ。望月の欠けたることもなしと思へば (藤原道長)
とあるのは、欠けのない月の形状を視覚的に表現したもので、万葉集でも望月を女性のふくよかな顔だちにたとえた歌もある。
けれどどちらかというと時間の推移で月を表現することのほうが多い。
入り日と月の出
わたつみの豊旗雲に入日さし、今宵の月夜明けらけくこそ(中大兄皇子)
日の出と月の入り
東の野にかぎろひの立つ見えて、かへり見すれば、月傾きぬ(柿本人麻呂)
むかし夜は神々の世界であり、その中で最も神々が現れやすい夜は最も明るい満月の夜で、日没から日の出までの満ち足りた世界のことなのだろう。
16日の十六夜(いざよい)の月は、月の出の時刻だけが問題である。日没から月の出まで、小半時余りの時間があり、その間はまったくの闇夜になる。月の出を待つ不安の時間が少しあり、まもなく明るい十六夜の月が出る。「いさよふ」とは一瞬のためらいの意味の古語である。
16日を過ぎると、月の出を待つ時間はだんだん長くなり
17日 立待月(たちまちづき) 18日 居待月(いまちづき) 19日 臥待月(ふしまちづき)
という言い方があるが、それほど古い言葉ではない。特に前二者はあとで作られた言葉だろう。
二十三夜(にじゅうさんや)は、下弦の月のことで、月の出は真夜中の0時。二十三夜待ちは、村の人、特に女性たちが夕刻に一ヶ所に集まり月の出を待ってお祭りをしたもので、お籠りののち月の出を祝ったものらしい。近代では女性たちの団欒のあと月の出に解散という形が多いという。二十三夜には勢至菩薩がまつられる地方もあり、庚申とならんで二十三夜の石碑も多く残された。
十五夜、十三夜は省略。
旧暦15日が満月で、望月ともいう。平安時代に権勢をほしいままにした人の歌に
この世をば我が世とぞ思ふ。望月の欠けたることもなしと思へば (藤原道長)
とあるのは、欠けのない月の形状を視覚的に表現したもので、万葉集でも望月を女性のふくよかな顔だちにたとえた歌もある。
けれどどちらかというと時間の推移で月を表現することのほうが多い。
入り日と月の出
わたつみの豊旗雲に入日さし、今宵の月夜明けらけくこそ(中大兄皇子)
日の出と月の入り
東の野にかぎろひの立つ見えて、かへり見すれば、月傾きぬ(柿本人麻呂)
むかし夜は神々の世界であり、その中で最も神々が現れやすい夜は最も明るい満月の夜で、日没から日の出までの満ち足りた世界のことなのだろう。
16日の十六夜(いざよい)の月は、月の出の時刻だけが問題である。日没から月の出まで、小半時余りの時間があり、その間はまったくの闇夜になる。月の出を待つ不安の時間が少しあり、まもなく明るい十六夜の月が出る。「いさよふ」とは一瞬のためらいの意味の古語である。
16日を過ぎると、月の出を待つ時間はだんだん長くなり
17日 立待月(たちまちづき) 18日 居待月(いまちづき) 19日 臥待月(ふしまちづき)
という言い方があるが、それほど古い言葉ではない。特に前二者はあとで作られた言葉だろう。
二十三夜(にじゅうさんや)は、下弦の月のことで、月の出は真夜中の0時。二十三夜待ちは、村の人、特に女性たちが夕刻に一ヶ所に集まり月の出を待ってお祭りをしたもので、お籠りののち月の出を祝ったものらしい。近代では女性たちの団欒のあと月の出に解散という形が多いという。二十三夜には勢至菩薩がまつられる地方もあり、庚申とならんで二十三夜の石碑も多く残された。
十五夜、十三夜は省略。