蓑作りの翁の乙女

長生郡長南町 笠森寺

 むかし平安時代の中ごろ、冷泉天皇の皇子、五条の宮が上総守として赴任したとき、その従者として蔵人清光とその(いもうと)も東国へ下向した。 「少将の君」と呼ばれ、美貌の上に、また美しく琴を奏で、たちまち宮の寵愛を受けるやうになった。あるとき都から天皇の重病が知らされ、宮は都へ戻って行った。残された少将の君は、すでに宮の子を宿してをり、やがて姫が生まれた。少将の君はひたすら宮との再会を十一面観音に祈願したが、その甲斐もなく病にかかり帰らぬ人となった。兄の清光夫婦は、幼い姫をひきとり、市原郡尾野上の里で蓑や笠などを作りながらひっそりと暮らしたといふ。姫は「蓑作りの翁の乙女」と呼ばれた。

 十数年後、後一条天皇が妃をなくされ、東国に美しい妃を求められたとき、使者の嵯峨の中将によって、姫に白羽の矢が立った。清光夫婦とともに都へのぼり、妃となった姫は、故郷の尾野上の里に一寺を建立し、笠森寺と名づけ、本尊として母のゆかりの十一面観音を安置したといふ。笠森寺は奇岩の上に高い柱を組んで建てられてゐる。

 ○五月雨やこの笠森にさしもくさ                 芭蕉

 ○袖に添ふ涙の雨に濡れじとて、今日笠森をたづね来にけり     日蓮

 右の歌の日蓮は、安房郡天津小湊町の誕生寺のある地に生まれた。