手賀沼の高田堤

南相馬郡手賀沼

 利根川に近い南相馬郡の手賀(てが)沼は、江戸時代以降干拓がすすめられた。享保のころ、江戸の豪商の高田友清は、私財を投じて堤防を作り干拓をすすめて、二百町歩、二万石の新田を開墾した。友清が築いた堤防は、千間堤といひ、また高田堤ともいはれる。高田家の養子となった幕末の国学者の小山田(高田)与清(ともきよ)が、先祖を偲んだ歌。

 ○築きなせし手賀沼堤、つつむとも、いさを高たの名はや隠るる   高田与清