日光・二荒山
○下野や、神の鎮めし二荒山、ふたたびとだに御世は動かじ 賀茂真淵
むかし二荒山の神が大蛇となり、赤城の神が
二荒山は、男体山とも黒髪山ともいふ。
○ながむながむ散りなむことを君も思へ、黒髪山に花咲きにけり 西行
那須の温泉神社
舒明天皇の御代に、那須の茗荷沢村の猟師、狩ノ三郎行広が、白鹿を追って那須岳の麓の霧生谷に至ると、濃霧が立ち込めて行く手をはばんだ。すると岩上に白髪の翁が現はれ、温泉のありかを教へた。三郎がその温泉に行くと、白鹿が傷を癒してゐたといふ。白鹿を射止めた三郎が、その地にまつったのが、温泉神社である。源平の決戦のときには、ここで那須与一が戦勝を祈願したといふ。那須郡内には約八十の「温泉神社」といふ名の神社がある。
○みち多き那須野のみ狩りの矢さけびに、のがれぬ鹿の声ぞ聞こゆる 信実
○湯をむすぶ誓ひも同じ、石清水 芭蕉
那須野は源頼朝の巻狩の地としても知られる。
○もののふの矢並つくろふ小手の上に、霰たばしる、那須の篠原 源実朝
殺生石
むかし鳥羽法皇の寵愛を受けた玉藻の前は、実は天竺や中国から来た
○石の香や、夏草あかく露あつし 芭蕉
遊行柳
むかしある僧が白河の関から那須に至り、広い道を歩いてゐると、一人の老人が現はれ、前の僧は川岸の細道を通ったと教へた。老人に案内されて僧がその道を行くと、古い柳の木があった。
○道の辺に清水流るる柳蔭、しばしとてこそ立ちどまりつれ 西行
室の八島
栃木市国府町の下野国総社大神神社の池は、かつて八つの島が浮んでゐたことから「室の八島」と呼ばれ、水面からは常に水けむりを発生させてゐたといふ。
○いかでかは思ひあるとも知らすべし、室の八島のけむりならでは 藤原実方
むかし下野国のある長者の娘を、国司が見初めて求婚した。長者はさっそく婚礼の準備をすすめたが、そのころ長者の家では九州から来たさる高貴な青年を宿泊させてゐた。娘がこの青年の子を宿したことを知った長者は、困りに困り果てた末に、妙案を思ひついた。娘が死んだことにして、棺にツナシ(鮗{このしろ}の方言) といふ魚を詰め込んで、国司の使の前で焼いて見せたのである。鮗を焼くにほひは、死体を焼く臭ひに似てゐるといふ。
○
子の代として焼いたことから、この魚を「このしろ」といふやうになったとか。
あやつひの神
晃石神社の境内の鏡石は、昔は日夜光り輝いてゐたといはれ、その輝きから「
○あやつひの照る日の山の大神に、山田ぞ人の仕へたまへぞ 古歌
藤原秀郷が再建したとき、先祖の
稲葉の高尾
源平の戦が終ったころ、安徳天皇の御母・賢礼門院にお仕へした高尾は、暇を与へられ、一人の下女とともに京を去り、故郷の因幡国へ帰ることになった。ところがその旅の途中、下女は病死し、高尾は一人旅のまま悪人に捕へられ、遊女に売られようとした。そこへたまたま通りかかった金売吉次に救出されたのだが、吉次はそのまま奥州へ立ち去ってしまった。吉次と別れた高尾は、もう一度吉次に逢ひたいものと、道を引き返して奥州へ向った。下野国に入り、都賀郡の稲葉の里で吉次が滞在してゐるといふ噂を聞き、喜びいさんで来てみれば、吉次はすでにこの世の人ではなかった。高尾は、身の不運を歎きつつ、墓を築いて吉次の霊を供養した。これまでの長旅の疲れが襲ひ、まもなく高尾は病の床に伏した。その床で郷里の因幡を思ひつつ歌を詠んだ。
○ふるさとの道のしるべも絶えはてて、ちぎるいなばの名こそつらけれ 高尾
高尾は、世話をしてくれた村人たちに身の上を語り、錦の袋に入れた懐剣と錦の服紗包みを取り出して、「この懐剣はこの家に伝ふべし。またこの服紗包みは大内裏の御宝の一品にて、この家にて持つべきものにあらざる故に、所を定めて埋めてわが在所、因幡国峰の高尾大明神をまつりてほし」と言ひ残して息絶えた。文治四年(1188)九月のことといふ。
村人は高尾の遺言にしたがひ、服紗の包みを土中に埋め、翌年九月、高尾大明神を勧請して祀った。高尾の神は、疫病除けの神として信仰されていった。
安蘇沼の鴛鴦
むかし下野国の安蘇郡に一人の鷹使の男がゐた。ある日、男は鷹狩の帰りに安蘇沼のわきを通ると、ひとつがひの鴛鴦がゐたので、そのうちの雄鳥を射て、鷹に与へた。鷹は頭の部分を食べ残したので、餌袋に入れて家に持ち帰った。その夜、男の夢になまめかしい女が現はれた。女は、泣きながら夫を殺された恨みを切々と述べ、歌を詠んで飛び去った。
○日暮るればいざやと云ひしあそ沼の
男が目覚めて餌袋を開いてみると、雌鳥が雄鳥のくちばしをくはへて死んでゐた。これをあはれに思った男は、出家したといふ。(沙石抄)
同様の話は全国にあり、鷹使の男が寺を建て、名は鴛鴦寺といったが、何かのときに名を変へたといふ話になってゐる。下野の安蘇沼氏は、藤原秀郷(俵藤太)の流れで、頼朝の奥州平定への功績により、所領を賜はってこの地に移住したといふ。
○下つ
馬槽
むかし下野国に長年暮した夫婦があったが、男が心変はりして、妻の家をすっかり引き払って他の女と住まうとした。妻の家に下男の「まかぢ」が使ひにやってきて、最後に残った馬槽(馬の餌箱)まで持って行かうとするので、妻は歌を付けてやった。
○ふねも往ぬ。まかぢも見えじ。今日よりはうき世の中をいかで渡らむ
この歌を見て、男は妻の心に打たれて、縒りを戻したといふ。(大和物語)
諸句
栃木市の栃木女子高校出身の吉屋信子の句。新潟県生まれで、鎌倉に住んだ。
○秋灯し机の上の幾山河 吉屋信子