日光・二荒山

日光市

 下野(しもつけ)国と上野(かみつけ)国はもとは一つの毛野(けの)国といひ、豊城入彦(とよきいりひこ)命の子孫の上毛野(かみつけの )君が国造となってゐた。二国が渡良瀬川を境に分れたとき、国造家も分かれて、奈良別(ならわけ)王が最初の下野国造となった。その奈良別王が、祖先の豊城入彦命や大物主(おほものぬし)神などをまつったのが二荒山神社であるといふ。のち藤原秀郷(俵藤太)などの武将の崇敬もあった。足利氏も藤原秀郷の流れをくむといふ。

 ○下野や、神の鎮めし二荒山、ふたたびとだに御世は動かじ    賀茂真淵

 むかし二荒山の神が大蛇となり、赤城の神が百足(むかで)となって湖沼をめぐって争ったといふ伝説がある。近江国で百足退治をした俵藤太は、当地でも隣国の赤城山近くの百足を退治した。藤太の後裔の武将たちは、百足を描いた旗を掲げて合戦に臨んだといふ。

 二荒山は、男体山とも黒髪山ともいふ。

 ○ながむながむ散りなむことを君も思へ、黒髪山に花咲きにけり  西行