横山の禰宜

宮古市宮町 横山八幡宮

 平安時代の寛弘三年(1006)、阿波の鳴門が突然鳴動し、怒涛逆巻く天変地異が起こった。時の一条帝は諸国に募ってこれを鎮める者を捜した。横山八幡宮の禰宜も、日夜祈祷をして、一首の御神歌を得て、さっそく阿波の鳴門に赴いた。

 ○山畠に作りあらしのえのこ草 阿波の鳴門は誰かいふらむ   (御神歌)

 (山畑に作ったえのこ草は粟に似てゐるが、粟が成ると誰が言ふだらう)

 御神歌を詠じると、たちまち怒涛は止み、静かな海にもどったといふ。和泉式部が禰宜の宿を訪れてこの歌を真似、式部が詠んで鎮めたともいふ。ともかく、帝は波静かとなったことを喜ばれ、この地方に「宮古」といふ地名を賜ったといふ。宮古には猿丸太夫の伝説もあり、横山の禰宜は地方有数の歌道の名門だったらしい。

 宮古は、源義経が衣川から落ちのびて来た地ともいひ、東北各地には同様の伝説が多い。