硫黄島

鹿児島郡三島村

 硫黄島は鬼界ヶ島とも呼ばれたらしい。治承元年、鹿ヶ谷事件で鬼界が島へ流された平康頼の歌がある。

 ○薩摩潟、沖の小島に我はありと親には告げよ。八重の潮風    平康頼

 壇ノ浦に敗れた平家の一部は、安徳帝をお護りして、硫黄島に漂着したといふ。平資盛(一ノ谷で討死したともいふが)ら臣下の多くはさらに屋久島や奄美大島へ移住し、硫黄島へ物資を供給した。帝は硫黄島で成人され、平資盛の娘の櫛匣局(くしげのつぼね)を后となして、承久三年には若宮が誕生した。その翌年、帝の学問の師であった平経正が世を去った。

 ○君にけさおく露よりもつらくして消える思ひの身こそつらけれ  平経正

 帝は寛元元年(1243)にこの島で崩御されたといふ。

 ○天雲の立ち覆ふ身と知るからは我が日の本に照るかげもなし   安徳帝

 安徳帝が落ちのびたといふ伝説は、対馬、阿波の祖谷地方、その他各地にある。