日柳燕石

琴平町

 琴平町榎井の加島屋といふ質屋に生れた日柳燕石は、勤王家でもあった父の遺産を背景に花街に出入りするうちに「加島屋の親分」と呼ばれるやうになり、博打打ちになっていった。博打は開いても、自分では打たずに、傍らで酒を飲みながら書を読みふけったといふ。勤王の士との交際も広く、多くの侍をかくまったりした。高杉晋作をかくまった罪で投獄されたが、明治元年に出獄し、そのときの祝の歌(都々逸)。

 ○いせ海老の腰はしばらくかがめて居れど、やがて錦の鎧着る    日柳燕石