大麻比古の神

鳴門市大麻町

 神武天皇の御代に、天太玉(あめのふとだま)命(大麻比古神) の孫の天富命(あめのとみのみこと)が、阿波国に渡り、麻楮を栽培して麻布木綿を生産した。その守護として先祖の大麻比古神をまつったのが、阿波一宮の大麻比古神社(鳴門市大麻町)である。配祀の猿田彦大神は、古くより大麻山の峯(奥宮)に鎮座してゐた神といふ。

 天太玉命は、天照大神が天岩戸に籠られたときに白和幣(しろにぎて)を納めて祝詞を奏上した神である。その白和幣を作ったのは天日鷲神(あめのひわしのかみ)で、麻殖神(をゑのかみ)とも呼ばれ、徳島市の忌部(いんべ)神社にまつられ、阿波の忌部氏の先祖とされる。忌部氏は中臣氏とともに大和で宮廷祭祀を司り、紀伊、讃岐、出雲などに移住した忌部一族は、祭祀の神宝や神具を調製した。

 鳴門市大麻町には、四国八十八ヵ所一番札所の霊山寺がある。

 ○霊山(りょうせん)の釈迦の御前に巡り来て、よろづの罪も消え失せにけり  御詠歌

 四国には、成人した男女は必ず一回は遍路の旅に出なければならないとされた村も多かった。



阿波の鳴門

 むかし一条天皇の御代に、阿波の鳴門が鳴動してとどまることがなかったといふ。歌を詠んでそれを鎮めたといふ話が伝はる(岩手県「横山の禰宜」参照)。

 ○山畑に作りあらしのえのこ草、あはのなるとは誰かいふらん    奥州横山の神官

 ○えのこ草種はおのれとなるものを、あはのなるとは誰かいふらん  和泉式部

 鳴門市撫養町は、貝合(かひあは)せに使ふ蛤の名産地だった。

 ○便りあらば撫養(むや)のはまぐりふみ見せよ、はるかなるとの浦にすむとも 源宗光女



土御門院

板野郡土成町 御所神社

 承久の変で父帝の後鳥羽院が隠岐へ流されると、御子にあたる土御門(つちみかど)院は自らすすんで土佐へお移りになり、さらに阿波国にお移りになった。阿波の吉田の御所屋敷に行宮を営まれた。その地(板野郡土成町宮川内)に院の霊をまつったのが御所神社である。

 ○吹く風の目に見ぬかたを都とてしのぶも苦し夕暮れの空      土御門院

 ○(うづ)もるる木の葉の下のみなし栗、かくて朽ちなむ身をば惜しまず  土御門院



阿波十郎兵衛

徳島市

 むかし阿波十郎兵衛は、盗賊に奪はれた主家の宝刀を捜すため、自ら盗賊になって大坂に出た。数年後、その十郎兵衛の家に、故郷から娘のおつるが巡礼姿で親を探しに来たが、妻のお弓は、わが子が盗賊の子と人に知れるのを恐れて、母と名のらずに娘を帰したといふ。(傾城阿波の鳴門)

 ○巡礼の稚児に逢ひたる花野かな                渡辺霞亭

 右の句は、徳島市川内町宮島の阿波十郎兵衛屋敷の跡の句碑から。



阿波の殿様

徳島市

 天正十三年、関白に就任した羽柴秀吉は、四国を統一したばかりの長宗我部(ちょうそ か べ)氏を敗って四国を平定し、臣下の蜂須賀家政が阿波を領した。徳島城が築かれ、それを祝って町民が踊ったのが阿波踊りの始りといふが、実際はもっと後世のものらしい。

 ○阿波の殿様、蜂須賀公が、今に残せし阿波踊り         阿波踊り

 徳島市中常三島町の神明社は、以前は城山の頂上にまつられてゐたが、蜂須賀公のときに現在地に移されて、城の守り神となった。神明社の御神木の真柏は、ヒノキ科のミヤマビャクシンといふ常緑樹で、縁結びの神木といはれる。

 ○神明に誓って祈る願ひなら、縁を結びの庭の真柏(ま がしは)

  ◇

 徳島市は昔の加茂郷の地で、海神の娘・豊玉姫と結婚した鸕鷀 草葺不合(う がやふきあへず)命の歌に歌はれる「かもとく島」は、加茂郷徳島の地だともいふ。

 ○沖つ鳥、鴨とく島に我が率寝(ゐね)(いも)は忘れじ。世のことごとに   鸕鷀 草葺不合命



諸歌

 ○万巻の(ふみ)焼けつきて、石門とまき垣のみぞ残りたるはや     井上羽城

小松島市金磯町 明治期の国学者

 ○貝ひろふ磯辺つづきの小松原、かすむところに鴬ぞ鳴く     小杉榲邨



鯖大師

海南町鯖瀬 八坂山鯖瀬大師堂

 海部郡海南町付近の海岸は複雑に入り組み、八坂八浜と呼ばれる風景美をほこるが、路行く者には大変な難所だった。むかし四国を巡ってゐた弘法大師がここを歩いてゐると、鯖を積んだ馬をひく馬子が通りかかった。大師さまがその鯖の一匹を乞うたところ、馬子は乞食坊主にやる鯖はないと、そっけなく通り過ぎようとした。そこで大師さまが一首を詠んだ。

 ○大坂や八坂坂中、鯖ひとつ大師にくれで馬の腹病む       弘法大師

 すると坂道を登らうとした馬は、たちまち腹痛をおこして立ち往生してしまった。馬子は驚いて、あの有名な弘法大師さまに違ひないと詫びて鯖を献上すると、大師さまがまた詠んだ。

 ○大坂や八坂坂中、鯖ひとつ大師にくれて馬の腹止む       弘法大師

 これで馬の腹痛が止んで、元通りに歩き出したといふ。大師さまが鯖を海に投げ入れると、鯖は生き返って泳ぎ去ったといふ。同類の話は諸国にある。



祖谷のからうた姫

西祖谷山村 若宮神社

 平家の落人の村といふ西祖谷山村には、南北朝のころ土佐の幡多郡有井荘に流された尊良親王の妃加良歌(か ら うた)姫の伝説がある。当地の話では、姫は親王の後を追って赤子を抱いて阿波へ渡り、陸路土佐をめざしたが、祖谷の地で吾が子を死なせた。この地に吾が子を葬り、更に土佐へ行ったが、既に親王は九州へ渡ったあとだった。再びもと来た道を戻り、わが子の墓所のある祖谷の里でちからつきて死んだといふ。母子は若宮神社にまつられた。

 ○心なき雲こそ渡れ。鳥すらもい行きはばかる峰のかけ橋

 ○祖谷のかづら橋ゃ蜘蛛の巣のごとく、風も吹かぬにゆらゆらと  祖谷の粉挽唄

 祖谷のかづら橋は、十丈余の谷に藤蔓だけで作られた橋で、里人は危険を恐れて下を渡ったといふ話もある。

 ○辺りにはたえず平家の物語、いとおもしろき琵琶の滝つ瀬    浪花桃苗