院ノ庄
津山市神戸
元弘二年、後醍醐天皇が隠岐へ向かはれる途中、久米郡
○春来れば桜咲くなり。いにしへのすめらみことのいでましどころ 平賀元義
そのころ児島高徳は、院ノ庄の行在所に先まはりし、館の前の桜の幹に
○天勾践を空しうするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず
の詩を刻んだといふ。この地は今の津山市神戸のあたりで、美作の守護職の館が行在所とされた。館跡には明治二年に後醍醐天皇をまつる
○跡見ゆる道のしをりの桜花、この山人の情けをぞ知る 六条少将
元弘二年、後醍醐天皇が隠岐へ向かはれる途中、久米郡
○春来れば桜咲くなり。いにしへのすめらみことのいでましどころ 平賀元義
そのころ児島高徳は、院ノ庄の行在所に先まはりし、館の前の桜の幹に
○天勾践を空しうするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず
の詩を刻んだといふ。この地は今の津山市神戸のあたりで、美作の守護職の館が行在所とされた。館跡には明治二年に後醍醐天皇をまつる
○跡見ゆる道のしをりの桜花、この山人の情けをぞ知る 六条少将