春雨庵の山乃井の水、

沢庵禅師  上山市

 寛永六年、紫衣事件に連座して徳川幕府によって京都大徳寺を追はれた沢庵禅師は、出羽国に配流の身となった。とはいへ上山城主・土岐氏の厚遇により、特に不自由な生活を強ひられたといふわけではなかった。山里の春雨庵と名づけた庵で、茶や歌に親しみつつひっそりと暮らした。この庵に山乃井といふ井戸があり、マサといふ名の里の娘がよく水汲みに来た。時折り娘が届けてくれる里の花や、彼岸のときのおはぎや、また村里の話題は、老僧のなぐさめであった。ある時期から娘がさっぱりこなくなったので、人に尋ねてみたら、どこぞの村へ嫁いで行ったといふ。三年の配流を終へて春雨庵を去るときの沢庵禅師の歌。

 ○浅くともよしやまた汲む人もあらば、われに事足る山乃井の水  沢庵