須佐之男の詩

須佐之男命2筆者がだいぶ昔に書いた、須佐之男命についての4行の詩のようなものです。

剣太刀 身に添ひかねて
常世へ 乳母(おも)今失せぬ
童(わらし)ゆゑ 紅浴むや
葬(はふ)りけめ 吠えろ須佐之男

文語と口語が混じって妙な表現が目立つのは、「いろは」の47文字を一つづつだけ使って綴ったいろはうたとしたために、無理が出てしまった部分です。
剣太刀は枕詞。乳母とは母の伊邪那美命のことで実際は常世ではなく黄泉国(よみのくに)へ去りました。
ひらがなだけで書くと次のようになります。

つるぎたち みにそひかねて
とこよへ おもいまうせぬ 
わらしゆゑ くれなゐあむや
はふりけめ ほえろすさのを

画像は大蘇芳年の「大日本名将鑑表」の一枚。
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日本の神ランキング

ランキングというと語弊があるかもしれませんが、日本の神社の御祭神のうち、多くの数がまつられている上位の25柱の神を「平成祭データ」で調べてみました。

{1}誉田別尊(ほんだわけのみこと) 十五代応神天皇。全国に一番多い八幡神社の神。
{2}須佐之男命(すさのをのみこと) 熊野神社、八坂神社、氷川神社、津島神社。
{3}天照大神(あまてらすおほみかみ) 神明社など、伊勢神宮の神さま。
{4}倉稲魂神(うかのみたまのかみ) 稲荷神社の神。神社名では稲荷神社は2位。
{5}大国主神(おほくにぬしのかみ) 出雲大社。資料では大物主命と同一なので金刀比羅神社。

{6}菅原道真(すがはらのみちざね) 天神社、天満宮。学問の神、雷神。
{7}大山祇神(おほやまつみのかみ) 三島神社、山神社。
{8}伊邪那美命(いざなみのみこと)  熊野那智神社。熊野神社、白山神社
{9}迦具土神(かぐつちのかみ)火産霊命(ほむすびのみこと) 愛宕神社、秋葉神社、荒神社
{10}建御名方命(たけみなかたのみこと) 諏訪神社

{11}伊弉諾命(いざなきのみこと) 多賀神社、白山神社、熊野神社
{12}神功皇后(じんくうこうごう) 宇佐神宮、八幡神社、住吉神社
{13}市杵島姫(いちきしまひめ) 弁天さま。厳島神社、宗像神社
{14}事代主神(ことしろぬしのかみ) 三島神社、美保神社、恵比須神社、蛭子神社
{15}少彦名命(すくなひこなのみこと) 少彦名神社、温泉神社、薬師神社、淡島神社

{16}猿田彦神(さるたひこのかみ) 猿田彦神社、白髭神社
{17}豊受姫命(とようけひめのみこと) 豊受大神宮(伊勢)、神明社、稲荷神社
{18}天児屋根命(あめのこやねのみこと) 春日神社
{19}保食神(うけもちのかみ) 駒形神社、稲荷神社、
{20}大山咋神(おほやまくひのかみ) 日枝神社、日吉神社、山王神社

{21}白山姫・菊理姫(しらやまひめ、きくりひめ) 白山比売神社、白山神社
{22}武甕槌命(たけみかづちのみこと) 鹿島神宮、鹿島神社、春日神社
{23}罔象女神(みつはのめのかみ) 水神社 貴船神社
{24}木花開耶姫(このはなのさくやひめ) 浅間神社
{25}経津主神(ふつぬしのかみ) 香取神宮。春日神社

そのほか28位に日本武尊(やまとたけるのみこと)が入ります。
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天神さま、菅原道真

11歳の菅原道真各地の天神社や天満宮で、学問の神として祭られる菅原道真も、現代日本を代表する神の一柱です。
平安時代の中ごろ、学者の家柄としては異例の出世をとげて右大臣にまでのぼったのですが、延喜元年(901)、讒言によって九州太宰府へ左遷されたことで知られます。
九州への旅が決まって自宅で梅の花を詠んだ歌も有名です。
  東風(こち)吹かば匂ひおこせよ。梅の花。あるじなしとて春な忘れそ

京都から船で宇治川を下って瀬戸内海を通って行ったのでしょうが、途中で各地に伝説を残し、各地に祭られる天神社の由来となっています。片道の旅にしては考えられないほど広範囲に伝説が語り伝えられますが、後の天神信仰の隆盛をものがたっているということなのでしょう。

道真は2年後に九州で没しました。その後、道真の霊は雷神となって都周辺に祟りをおこしたといわれ、数十年後には政治的にも復権され、北野天神にもまつられました。
学問・詩文の神とされ、室町時代の禅僧によっては、彼は天満天神となって渡唐し、径山(きんざん)の無準(ぶしゆん)禅師のもとで修行したことにもなりました。

江戸時代には、寺子屋でも天神さまは祭られ、村々の新年の寄り合いなどでも天神さまの掛け軸の前で「歌いぞめ」が行われました。日本では読み書きの両方ができないという人は少ないくらいでした。
けれど、それだけで全国に数千の天神社・天満宮が祭られたというわけでもなく、もともとは雷神としてまつられた「天神社」も多かったらしいということです。そういう天神社では後に菅原道真も合わせまつられるようになったようです。

雷が落ちそうなときは、「クワバラクワバラ」と言うのは、雷除けのおまじないの呪文で、近江国のクワバラという所に菅原道真の領地があったことに由来する、という説明もあります。
画像は11歳で漢詩を詠んだという少年時代の道真を描いたもの
★トラックバック先 http://blog.zaq.ne.jp/randokku/article/282/(座乱読後乱駄夢人名事典・菅原道真)
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ななばんげ

盆迎えのころの子供たちの行事には、青森県の「草ねぶた」などがあります。
子供たちが木の枝の先に灯籠を下げて七晩家々を廻り、七日目にそれを海に流すという行事だということです。
北海道で村の子供たちが、八月七日(または七月七日)の夕方に集り、竹に短冊と灯籠をさげて持ち、笛太鼓で囃し、歌いながら村の家々を巡ってローソクをもらうというローソクもらいも良く似た行事です。
青森県の「ねぶた」は、どんどん規模が大きくなって大きなお祭になっています。

木曽義仲の故郷の長野県日義村では、「だっぽしょう」といって、お盆迎へのころ、里の子供たちが行列を組んで行進し、山吹山の山頂で花火をあげるそうです。花火が盆の迎え火のようなものなのでしょう。

北関東などでは「七晩げ」という行事があります。検索したら「桐生の方言」というサイトしか出ませんでしたが、その説明によると「しちばんげ バンゲは夕方のこと 夏土用の一週間を言い藁を束ねて家の前で燃やしこれに暖まるとハヤリヤマイにかからない」とあります。
埼玉県北部では、同様のものをナナバンゲと言っているようです。晩は夕方のことですが、ゲの意味は不明としたほうが良いでしょう。これも盆迎えの行事が変化したものらしいのです。
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木花之佐久夜毘売

木花開耶姫コノハナノサクヤビメ
日向の高千穂の峰に天降った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、天照大神(あまてらすおほみかみ)の孫にあたる。
瓊瓊杵尊が、后として迎えたのは、山の神・大山祇神(おほやまつみのかみ)の二人娘のうち、容姿の醜い姉の磐長姫(いはながひめ)ではなく、美しい妹の木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)だった。天皇の生命が木の花のようにはかなく短いのはこのためだという。

姫は一夜で懐妊し、お産のために産屋に入った。
瓊瓊杵尊が生まれる子がわが子であることを疑ったので、姫は産屋に火をつけて占った。
火照命(ほでりのみこと)(海幸彦)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほをりのみこと)(山幸彦)の三人が無事に生まれた。
海幸彦と山幸彦は童話でも知られる神で、海幸彦は隼人(はやと)阿多君(あたのきみ)の祖とされる。木花之佐久夜毘売の別名がアタツヒメというのも、薩摩国の阿多郡に由来するのだろう。
山幸彦の孫が神武天皇である。

以上は古事記の話だが、日本書紀の一書によると、瓊瓊杵尊が笠狭(かささ)の岬に到ると、「秀(ほ)立つる浪穂の上に、八尋殿(やひろどの)を建てて、手玉(ただま)ももゆらに、機(はた)を織る」少女があり、それが木花開耶姫(このはなのさくやびめ)である。棚機伝説に近いものがあり、一夜での懐妊といい、「聖婚」を物語る説話であることにちがいはない。

木花之佐久夜毘売は、のちに、安産の神とされ、美しい火の山・富士山の神として浅間神社にまつられる。近世には江戸を中心に富士講が栄え、養蚕守護の神ともされ、男女平等的な思潮を含むものでもあった。
「花」とは桜の花のことで、姫が富士山の頂上から種をまいたので日本中が桜で賑わうという話もある。
富士山の説話では、かぐや姫に類似した話も伝わっている。
画像は深谷市の浅間神社の木花開耶姫命の"お姿"。
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須佐之男命

須佐之男命
須佐之男命(スサノヲノミコト、スサノオ)という神は、稲荷神社や八幡神社の神とならんで、もっとも日本を代表する神の一つである。
ただし須佐之男命を祭る神社の名前は、種類が多く、全国的に多いのは熊野神社や八坂神社である。関東の氷川神社や東海地方の津島神社でも祭られる。そのほか須賀神社、須佐之男神社、八雲神社などがある。それらを合計すれば、稲荷様や八幡様の数に匹敵するほど、日本の代表的な神である。

中国地方や兵庫県や四国北部では、荒神社(こうじんしゃ)という名の神社でも祭られ、その数は約200社、氷川神社や津島神社の数にも匹敵するほどの数である。
荒神様は、全国的には竃の神として家の中に祭られることが多く、火の神であり家の守り神であり、また作物を守る神とされる。
しかし中国地方では、家の母屋の外の屋敷内に祭られたり、一族に共同で祭られたり、地域の氏神として祭られる。その点では関東などの稲荷様にも似ている。「○○荒神」という名で親しみをこめて祭られることも多く、山口県には三年寝太郎を祭った寝太郎荒神もある。また牛馬の守護神としても祭られる。

荒神社に須佐之男命が祭られるのは、「荒れる神」というよりも、庶民生活の長い歴史の中で最も親しみのある神だからなのだろう。
須佐之男命は、雨の中を蓑笠姿で諸国を歩き、庶民の家を訪れては豊穣を約束してくれる神という伝承がある。備後国風土記逸文によれば、訪れた先で疫病除けの呪法として茅の輪の方法を教えてくれた神でもある。

中国四国地方に200社もある荒神社だが、どれも規模が小さい神社のようで、それぞれの由緒書を入手することができない。里神楽に多い「五郎王子」の話が参考になるというが、まだよく検討していない。
広島の神楽というサイトに五行祭の話がある。

須佐之男命には、古事記などでは、乱暴者で天照大神を困らせた話、八俣の大蛇を退治した話(図版参照、大蘇芳年の絵)があるが、別の機会に述べる。
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死に水と生き返らせる水

井之口章次著『日本の葬式』(ちくま文庫)は、死に水をはじめとした葬式関連の習俗や俗信の調査事例をもとに、日本人の死生観について述べた本です。

普段、手を洗ったあと水を拭かずにパッパッと水を切るような動作をするのは、縁起が悪い、その水が人にかかると親の死に目に会えない、という俗信があります(最近はないかもしれませんが)。
それは、水のかけかたが、一部の地域に残る死に水のかけかたと同じだからだろうといっています。死に水は、近親者が箸の先につけた白い布に水を浸して亡くなった人の口に含ませるのが一般的なやりかたです。しかし徳島県で、顔に水を吹き掛けて「○○さん戻るか」と声をかけるという調査報告があり、魂を呼び戻すための水と考えるべきということになります。
死にかかった身体から抜け出した魂を呼び戻すための呪法があり、びっくりした子供に対して、「沖縄ではマブイ(魂)の抜けた子供にマブイツケルとき、茶碗の水を子供の額につける」のも同様の意味だろうというわけです。

同書では、葬儀についてのいろんな習俗が、じつは生き返らせるための呪法だったという指摘が多く、日本人の死生観を改めて考えさせられる本でした。

昔は原因不明とされる病気も多く、若い人でも突然に死が訪れることも少なくなかったのでしょう。それで魂を呼び戻す方策がいろいろ考えられたことでしょう。
けれどそれで生き返ることがなかったという経験の積み重ねによって、死に水は「末期の水」、諦めてお別れするための水という解釈になっていったのかもしれません。

この本は途中まで読んで休止しています。読むほうにとっては「生き返らせる」というのが現世への執着を意味するように感じられることがあったからです。
もう少し諦めの段階に入って、別の次元へ生き返らせること。そして亡くなった魂の一部が次の世代の者にうまく継承されるようにすること。そういう観点からのものを読みたくなったためです。
けれどそういったことは、葬式の後、49日ないし50日の期間に行われることであって、葬式に関しては、著者の言うように、あれもこれも元は生き返らせるための作法だったという見方が正しいのでしょう。

20年くらい前までは通夜には黒い「喪服」ではなく、平服で参列するのが普通でした。それは生き返って欲しいということの表現だったわけです。葬儀になったら黒い服に変えて区切りを付けるという気分でした(喪服が黒になったのは戦後のことです)。
けれど最近はみんな黒い服で区別がなくなり、通夜や葬儀に始まり、50日や1年、3年……、区切りの諸行事の違いや区別もよくわからないという人が多くなってしまいました。
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蜂に刺されないおまじないの歌

夏休みに野山で遊ぶ子供たちは、蜂に刺されないように気をつけなければなりません。

蜂が近づいてきたときは、「アビラ ウン ケン ソワカ」という呪文を唱えると良いとか、口笛を吹くと良いとかいう話もあります。

  軒端なる蜂のずはへに梅咲きて、うそを吹き吹き花をこそ折れ (犬つくは集)

「ずはへ」とは若枝のことと鈴木棠三『日本俗信辞典』にあります。「うそ」とは口笛のことで「嘯」と書きます。
山形県の例では、次の歌を唱えると蜂除けになるそうです。

  わだの原こぎいでて見れば久方のくもりにまがふ沖つ白波

百人一首(藤原忠通)の歌の「雲居」を「くもり」に変えただけの歌で、よくわかりませんが、「お前は蜘蛛だから刺すはずがない!」という意味でしょうか?
そのほか、近くに落ちている平べったい石を裏返しにひっくり返すと良いというのも、広く行われたおまじないです。

古事記の話では、若い大国主命が、須佐之男命から試練を受けたとき、ムカデと蜂の室に入れられて苦行をさせられますが、妻の須勢理毘売(すせりびめ)に教えられて、「蜂のひれ」を三度振って脱出できたという話があります。

さて次の歌は竹の枝にできた蜂の巣(ハチス)を詠んだものといいます。

  末のよは竹もはちすになりければ仏にうとき身とは思はじ  赤染衛門

「よ」は竹の節の意味もあり、「末の世」と枝の「末の節」をかけてあります。
ハチスというと蓮根の意味にもなり、その花が蓮(ハス)ですから、仏とも縁が深いものだというわけです。
軒下に蜂が巣を作るのは、縁起の良いこととされます。よそから持ってきた蜂の巣をぶらさげても無病息災の御守りになるといいます。

Kさんご指摘の蜜蜂についてのサイトhttp://bee.lin.go.jp/bee/history/02_01.html
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消えた湖の伝説その2

むかし湖だったという伝説のその2、西日本編です。

(7)伊賀の湖沼
三重県上野市の愛宕神社の由緒。「満々と水を貯えていた伊賀の湖沼は(第三紀古琵琶湖層群の一部)は地殻の変動をくり返すうちにだんだん水位がさがり先ず最初に南宮山(伊賀一ノ宮)が現われ、次いで朝日嶽(愛宕山)が出現して伊賀の国原が生み成されたといわれます」

(8)京都盆地
綾戸国中神社の由緒。「素戔嗚尊が山城の地、西の岡訓世の郷が一面湖水のとき、天から降り給い、水を切り流し国となしその中心とおぼしき所に符を遣わし給うた」

(9)巨椋の池
京都の都から南へ行ったところに実際にあった大きな沼。

(10)亀岡盆地(京都府)
亀岡市上矢田町の鍬山神社の由緒。「大巳貴神が国土を経営し給ひし時に丹波国は泥湖にて洪水山を抱き濁浪天を凌ぎ、土人の産業安からず、茲に八柱の神を黒柄嶽に召し給ひ図りあひ給ひて、乃て一葉の船を泛べ一把の鍬を挙げ、保津請田のあたりを疎通し給ひければ、沃土出で来り家郷開けにしより後、人其の徳を尊びこの地に祀りたりと伝説す。」
亀岡市の桑田神社の由緒にも「往古この地方は湖なりしを、亀岡市矢田町鍬山神社の祭神と共に、自ら鍬鋤を持って保津の山峽を切り開き、山城の地に水を流して亀岡盆地を干拓されたと大日本史の神社誌に見られる」とあります。
桑田神社の祭神は女神の市杵嶋姫命なので、鍬山神社の男神の力も必要だったのでしょう。

(11)豊岡盆地(但馬)
兵庫県の豊岡市の小田井縣神社の由緒。「国作大己貴命は、……大昔、この豊岡附近一帯が泥湖であって、湖水が氾濫して平地のないとき、来日岳のふもとを穿ち瀬戸の水門をきり開いて水を北の海に流し、水利を治めて農業を開発されました」

(12)阿蘇谷
熊本県の阿蘇神社の由緒。「健磐龍命(たけいはたつのみこと)は、……大湖水であった阿蘇火口湖を立野火口瀬より疎通し阿蘇谷の内に美田を開拓せられ、住民に農耕の道を教えられた」

(13)ほかに奈良盆地(大和平野)が湖だったという伝説もあります。
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消えた湖の伝説その1

 むかしこの土地は湖だったという伝説が各地にあります。中には事実が確認されているものや、近代になって干拓されたことが明らかなものもありますが、何故か神社の由緒に、この土地は湖だったと書かれることが多いのです。東日本の例をいくつか見てみましょう。

(1)福島盆地
福島市の鹿島神社の由緒。「古昔、信夫郷が湖沼であった時、僅かに水上に出ていた鹿島山上に常陸国鹿島神宮より蝦夷経営のため分祀勧請した」

(2)伊奈良の沼(群馬県東南端〜)
板倉町の雷電神社の由緒。「ここは奈良時代、万葉集に伊奈良(いなら)の沼と詠まれた大湖のあった所で、雷電の社はこの湖水に浮かぶ小島に鎮座し、昭和の初め干拓がなされるまでは水郷風景さながらでした」
現在の利根川、鬼怒川、渡良瀬川などが合流する付近は、大きな湖や沼が多かったようです。
  上毛野(かみつけの)伊奈良の沼の大ゐ草、よそに見しよは、今こそ益され  万葉集3417

(3)椿湖(つばきのうみ)千葉県
八日市場市の水神社の由緒。「下総の国に椿湖(つばきのうみ)と呼ばれる、太古以来神秘の水をたたえた霊湖がありました。今から三百余年前の寛文年間に、この湖を干拓して農地をつくろうとはかり……」

(4)甲府盆地
東八代郡中道町の佐久神社の由緒。向山土木毘古王(むこうやまとほひこおう)が、第二代綏靖天皇の時代に甲斐国に来たころは「甲斐の国の中央部は一面の湖であり、この湖水を疏導する為、土地の豪族、苗敷に住める六度仙人(去来王子)、姥口山に住める山じ右左辨羅などの協力を得て、南方山麓鍬沢禹の瀬の開削により水を今の富士川に落とし多くの平土を得、住民安住の地を確保した。」向山土木毘古王の別名は蹴裂明神(けさくみょうじん)ともいい、同じ県内各地で微妙に異なる伝説があります。

そのほか
(5)秋田県の横手盆地が湖だったことは地質学で証明されているようです。
(6)長野県の安曇野などの犀川流域での「竜の子太郎」伝説。母の竜が湖の水を外に流して豊かな平野ができたといいます。
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