風が吹いたら桶屋が儲かる

風が吹いたら桶屋が儲かる」という小咄がある。
なぜそうなるかというと。
風が吹くとほこりが立つ。ほこりが人の目に入って失明する人が増える。すると三味線弾きが増え、猫の皮を使うので猫が少なくなる。そして鼠が増え、鼠が桶をかじるので桶屋に桶の注文が絶えないというわけである。

眉唾ものの論理解釈のたとえに、使われることもあるようである。
『国家の品格』(藤原正彦著)という本では、埃が立つ確率が何パーセント、目に入る確率が何パーセント、失明する確率が……というふうに、低い確率がさらに低くなって桶屋が儲かる確率は極めて低いという説明がされている。
しかし残念ながら「風が吹くと」以下すべての現象を、同一原理で価値を数値化して白黒を付けるというのはどうだろうか。いかにも今風の論理になる。

そこにはアスファルトのない土の世界や、医療の発達していない社会、目の見えない人が三味線弾きとなって生計を立てていた時代が見える。もちろん確率は低いのだが、「棚からぼたもち」のような意味合いでは今でも庶民には好まれる話である。

また自分がどうして儲かったかを自慢げに語る人の話というのは、そうは信用できるものではなく、他人からみれば風が吹いたらの話のように聞える。単に運が良かっただけのことを、さも自分の行ないの結果であるかのように説明しているにすぎないのだろうと。
金儲けに本気で熱中している人には、こういう話が楽しめなくなっているかもしれない。
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桜が散る

桜北国をのぞけば日本の桜の時期ももう終りである。
桜は日本人に最も好まれてきた花であるともいえる。「散り際がよい」などという言い方をされることもあったが、そういったことよりも、春の到来を告げる花であり、その一年を占う花、また農耕儀礼などにも深く関わってきた花である。
近世までは、ヤマザクラという品種がもっとも親しまれていたといい、山間部に咲く白っぽい花だったらしい。開化時期には山の色が変化していって花の色で埋まる。そのふもとでの人々の生活があったのだろう。

桜の散る歌ですぐ思い出すのは、百人一首の有名な歌。

 ひさかたの光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ  紀友則

しづごころ(静心)とは「しずかな心。おちついた心」(広辞苑)とある。のどかな春の日だというのに、しづ心もなく花は散るのだろうという。
乱れる恋心を詠んだようにもとれるし、自分のところに落ち着かずに離れていってしまう相手のことを詠んだようにもとれる。
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いざ鎌倉

 北条氏五代目の執権、北条時頼は、僧形で諸国を巡り、地方の実情を視察したという。あるとき上野国の佐野で大雪にあい、とある民家に宿を借りると、家の主は貧しい暮しにもかかわらず、丁寧に僧を迎え入れ、盆栽の梅、桜、松を薪にしてまで暖をとってもてなした。主の名は佐野源左衛門常世。領地を一族の者に奪われて、貧乏はしているが、もしも鎌倉に一大事でもあれば、一番に馳せ参じて命を捧げる覚悟だと語った。それからしばらくして鎌倉で兵を集めるという話を聞いた源左衛門は、「いざ鎌倉」とばかり痩せ馬に乗って駆けつけた。多数の兵の中から源左衛門を見出した時頼は、その忠誠をたたえ、領地や恩賞を与えたという。

 この話は謡曲「鉢木」などで庶民にも親しまれ、源左衛門の痩せ馬を詠んだ江戸時代の川柳もある。

  佐野の馬、戸塚の坂で、二度ころび

 この話は実話ではなく、次の藤原定家の歌から構想されたのではないかといわれる。

  駒とめて、袖打ち払ふかげもなし。佐野の渡りの雪の夕暮れ (藤原定家)

定家の詠んだ「佐野」は紀州熊野付近らしいが、佐野源左衛門の住まいは今の群馬県高崎市上佐野または下佐野あたりだろう。
今の世の中でも、佐野源左衛門のような人はいるのだろうか。そして「いざ鎌倉」のような時は来るのだろうか。
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3月18日の命日

旧暦3月18日は、柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の命日であるといわれる。和歌に秀で、庶民にも人気のある3人が同じ命日の伝説をもっている。中西進氏によれば、桜の散るころの意味だろうという。桜の散るころが季節の重要な節目であって、季節がよみがえり、そのことに歌が深く関わってくるものなのだろうと想像できる。
旧暦の3月は早ければ彼岸の中日の翌日から始まるので、18日ごろが桜の散るころになることもあるのだろう。

西行法師の命日は2月16日といわれるが、有名な歌がある。

 願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ  西行

如月の望月・つまり旧2月15日ごろに桜が見られ、そのころが自分の死ぬときだという。15日は釈迦の命日で、西行は1日遅れ。伝説も釈迦に遠慮したのだろう。旧暦2月15日は、遅ければ新暦4月上旬ごろにずれこむこともあるので、桜が咲くころである。

2月15日ごろに桜が咲き、3月18日ごろ桜が散る、というのはもちろん同じ年の出来事について言っているわけではない。何か釈然としない部分もあるが、要するに、日本人は、人の死と桜について深い連想を抱き続けてきたのだろう。
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古代の自殺

昨秋、山田の案山子とクエビコの記事のとき参照した、『谷蟆考 −古代人の自然−』(中西進著)という本は、その副題「古代人の自然」の通りの興味深い内容である。
その中で「古代人の自殺」という一節について。

古代の男性たちの自殺は政治的なものが多いが、女性たちの場合は、ひそやかで一途で、つまりは人間的といえるものだと述べられている。
万葉集で知られる、二人の男の求愛に悩んで大和の耳無池に身を投げた鬘児、生田川の菟原少女、葛飾の真間の手児奈。大和物語の奈良・猿沢池の采女など。
それより古い時代の古事記の話では、たとえば垂仁天皇の時代に、夫である天皇よりも兄を選んだ佐保姫や、姉妹の中で醜女であったために郷里へ帰されたことを恥じて自殺したマトノヒメの時代は、より激しい情念のようなものも感じられる。

ところで、伝説物語に登場する女性たちはみな神に関わった女性たちであるという折口信夫の言葉に従えば、「人間的」であるとともに「宗教的」でもあるのだろう。

同書でも紹介される雄略天皇の皇女、栲幡皇女は、男との不義の疑いをかけられ、身の潔白を証明するために自殺した。皇女は斎宮でもあった。
壬申の乱で敗れて自殺した大友皇子の妃、十市皇女は、勝利した側の英雄、高市皇子に乱後に求愛されていたといわれる。皇女の突然の死は、それが原因の自殺ではないかと思われる。大友皇子が天皇に即位していたとすれば皇女は皇后であり、前皇后への求愛はありうべかざるものなのだろうが、相手方は即位についての認識が異なるのかもしれない。

一般の男性が求愛してはならない女性たちが、伝説物語の主人公になっていったのだろうと思われる。
あえてそれを犯す男は、在原業平のように流浪しなければならないし、光源氏も似たところがあるのだろう。
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地名のアクセント

長野県の長野という地名の発音は、地元では尻上がりのアクセントでナガノ(太字は高アクセント、以下同じ)というようだ。埼玉県の行田市の埼玉(サキタマ)も、郡名の埼玉も、尻上がりアクセントの発音である。

金田一春彦氏の話によると、英語のコップ(cup)やバスケット(basket)のアクセントは語頭にあるが、日本語に移入されてから長く日常生活に馴染んで来ると、コップ、バスケットと尻上がりのアクセントに変化してゆく傾向があるという。だから今の若い人たちが「彼氏」を尻上がりアクセントで発音するのは日本語の日常語の法則に適ったものであって、日本語の乱れとは言えないという。

地名はもともと地元の生活によく馴染んできたものが大多数なので、尻上がりアクセントが多いのだろう。ところが「埼玉」などの古い村名が、郡名や県名へと"昇格"されるにつれて、語頭アクセントに変ってしまうのは、地元以外のより広い地域でも呼ばれるようになるため、地元以外の人の発音が優勢となってしまうのだろうと思う。
埼玉県の郡名の例では、入間、比企、大里、幡羅、児玉など語頭アクセントになっているものが多い。

明治22年以後の村名はどうかというと、以下に例としてとりあげる今の埼玉県熊谷市西部から深谷市にかけての旧村名の例では、語頭アクセントは少ない。そして、それらにはそれぞれの事情があるようである。その地域の語頭アクセントの地名は次の通り。

今の深谷市の、渋沢栄一の出身地の旧村名の八基(ヤモト)は、八つの小さい村が合併して明治に成立した新しい地名である。また戦後熊谷市に編入された大幡(オハタ)は、旧大里郡と旧幡羅郡の郡鏡付近のいくつかの村が合併したときに、郡名の大里と幡羅から1文字づつ取って大幡とした新地名である。新地名は語頭アクセントになる傾向があるようだ。
幡羅(タラ)は、旧幡羅郡の中心地という理由で明治時代に命名された村名で、郡名のアクセントがそのまま使われたものと思われる。
別府(ベップ)という地名はアクセントは語頭と尻上がりと二種類あるように聞えるが、もともと役所の出先機関の意味なので、役所関係の人々の語頭アクセントが優勢になったり、他の同名の地名アクセントにつられたりということかもしれない。
深谷市に編入された新会(ンガイ)、熊谷市東部の成田(リタ)については、武将の新開氏、成田氏の苗字のアクセントの影響なのだろう。
以上のように、語頭アクセントの地名は、それぞれの経緯の事情を説明できてしまうように思われる。
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春夏冬二升五合

最近見聞きしたいくつかの洒落のきいた話。

ある料理屋の壁に飾られた色紙に次のように書かれてあった。
 「春夏冬
  二升五合」
「春夏冬」は秋が無いので「商い」のことだとすぐわかったが、「二升五合」の読み方に困って、同席の70才くらいの風流そうな人に聞いてみた。つまり「二升」は一升桝が2つでマスマス(桝桝)、「五合」は一升の半分だからハンジョウ(半升)。「商い益々繁昌」となる。昔の風流な人が店のお祝いの時にでも書いて贈ったものなのだろう。

ある上棟祭のときに神様にお供えする魚や野菜を大工さんが用意することになった。大工さんの手帳には野菜に「大根」と書いてあって、もっと高額なものを用意できる予算はあるのだが、大根は「胸がやけないから」大根なのだという。「棟が焼けない」を掛けているわけである。
上棟祭のときの引出物はどこの家でもヤカンと決まっていたものだった。これも家を「焼かん」という意味である。

人丸神社(ひとまるじんじゃ)が「火止まる」で火防せのご利益があったり「人生まる」で子授けや安産のご利益というのも、語呂合わせから始まったものなのかもしれないが、長い年月にわたって繰り返されているうちに、一つの信仰の形に定まってゆくのだろう。
現在でも、結納品の品目の「子生婦(コンブ)」やら「寿留女(スルメ)」といった書き方は、一式がセットで販売されていることもあって、よく知られていると思う。
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『日本歴史伝説傑作選』(学研ムック)

kessaku.jpg学研ムックといえば昨年9月16日の『ブログランキング』のことを思い出すのだが、平成14年発行の『日本歴史伝説傑作選』。「語り継がれてきた昔のこころ」という副題で、34話のエピソードが紹介されている。
「歴史ってこんなに面白かったっけ?」という表現に、なんとなく「ブログランキング」での当ブログへの評価文に似たニュアンスを感じた。それはつまり、最近多い怨霊やら策略政治の視点からの歴史読み物などに、今の若い世代の人が少し飽きてきて、ちょっと古い本を調べたら、もっと興味深い話がたくさんあり、そういった物語に新鮮な驚きを感じたということではないだろうか。

全34話のうち、奈良・平安時代の話では、役行者、中将姫、弘法大師、小野小町、菅原道真、安珍・清姫(道成寺)、平将門、安倍晴明、酒呑童子、安寿姫と厨子王、源頼光の話。
孤高の英雄の話や、古い信仰の奇跡のような話が目立つ。

当管理人としては、これらのほか、文学や芸能や職能について見落とすことはできないと思うので、東国を旅した在原業平、琵琶法師の蝉丸、木地師の祖とされる惟喬親王の話などを追加したいところである。
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まつり(祭)の語源

まつり(祭)という言葉の古い意味は、つまり、しきたり通りに行うことであると、折口信夫の本にひとことだけ書かれた部分があったと思う。
しきたり通り行うとは、毎年繰り返すことであり、季節が繰り返し、年月、そして人々も世代をこえて、大事なものを繰り返し伝えて行っているということである。
「政治」の意味の「まつりごと」の元の意味も「しきたり通り行うこと」であったらしい。

まつりという言葉は、日本語の基本語中の基本語であり、他の言葉から派生したというような語源説は当たらないことだろう。むしろ、まつりという言葉がどのように意味を広げていったかを見るのが良いと思う。

「たてまつる」とは、食物などを献上したり相手をもてなす意味である。「たつ」とは、煙や湯気が立つように、下から上へ向かって新しいものが現れることで、「たてる」は、上に向かって現れるようにすることなので、それだけで「献上」の意味に近くなる。祭では物を献上したり神をもてなしたりすることは不可欠のことなので、「たてまつる」を「まつり」の語源とする説もあり、たいへん魅力があるのだが、「たてまつる」は派生語として後からできた言葉なのだろう。

「つかえまつる」とは、大祓詞では建物などを作って差し上げることで、「つかえる」に「築く、作る」の意味があるようだ。その建物のもとで奉仕する意味から、服従の意味に広がっている。「まつろう」(服従する)という言葉もある。神につかえまつることも、祭の重要な要素だが、これらも言葉の源ではなく派生語なのだろう。

「まつり縫い」とは、洋裁などでも使われて多彩な意味になっているが、和裁では、半返し縫いの意味もあると辞書にある。和裁の方面は詳しいことはまったくわからないのだが、糸が表で少し戻っては裏では更に先に進んで行くようなことを繰り返して、まっすぐ丈夫に伸びたり、複雑な刺繍が完成するらしい。
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如月(きさらぎ)

春は名のみの風の寒さや、という唱歌の通りの昨日今日の気候である。

二月を、きさらぎといい、寒いので着物を着た上に更に着るから「衣更着(きさらぎ)」というのだなどという語源説もあるくらいだが、旧暦の二月は春分の前後をいうので、二月が寒いというのでは明治以後の語源説なのだろう。ほかの語源説では、芽の伸び始めで「生更ぎ(きさらぎ)」の意味というほうが、より説得力はある。広辞苑でも

  「生更ぎ」の意。草木の更生することをいう。着物をさらに重ね着る意とするのは誤

とある。大野晋氏の執筆と思われる。
「如月」と書くが、「如」の意味を小型の漢和辞典で調べたが、なぜそう書くのかはわからなかった。
「更」は改めるという意味であって、「着た上に更に」ということではないのだろう。

「如月の仏の縁」「更衣(きさらぎ)の別れ」という言葉もあり、如月は仏様に縁があるようである。
「鞍馬天狗」を書いた大仏次郎(おさらぎじろう)という作家は、天文学者の野尻泡影と兄弟だが、仏のことを「さらぎ」ともいったようなのだが、二月には涅槃会などの仏の重要な行事があったためなのかどうか。あるいは一説に「さらぎ」は仏に供物を供える容器の意味の古語でそれが転じて仏の意味になったともいうが、どうなのだろう。

次の歌二首は、春の陽気の二月と、まだ寒い二月を歌っている。

 ながめやる よもの山辺も 咲く花の にほひにかすむ 二月の空  近衛基平
 二月や なほ風さむき 袖のうへに 雪ませにちる 梅の初花    後宇多院
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