つげ漫画と伊勢の御札

 つげ義春の漫画『会津の釣宿』という作品では、洪水のときに、床屋の風呂桶が流されて、しかも中に娘が入った状態で流されたいう奇妙な話がある。
 大水で桶が流れてくることはよくあることだろう。そこから、「桶→風呂桶→娘が入ったまま」と連想が働いたのだろうか。
 温泉の宣伝パンフレットでも、温泉に入っているのは若い女性ときまっているのだから、大水で流された風呂桶に入っているのも、娘だということになろうか。

 あるとき、柳田国男対談集かなにかに収録の座談会の記事で、似たような話を読んだことがある。幕末のころ伊勢参りの集団が「ええじゃないか」の掛け声で踊りながら東海道を練り歩いていると、空から伊勢の御札が降ってきたという話があるが、御札だけでなく風呂桶が降ってきたという伝聞のような話について語られていた。やがて、話が少し変化して、降ってきた風呂桶には若い娘が入っていたという話になっていたそうである。
 これも奇妙な話である。風呂桶といえば若い娘が加わるのは、前述の通り、噂話のレベルではよくあることだろう。しかし御札といっしょに風呂桶が降るというのは、飛躍がありすぎないかと思ったわけなのだが、よく考えてみると、以下のように、ただの駄洒落なのだった。

 即ち、オケとは、古くは麻笥(をけ)などと書き、繊維の麻を入れる桧の曲げ物の容器のことを言った。
 伊勢の御札は、「御祓い大麻」とも言うように、麻を含むもので、桧の箱に入っているものもある。桧の容器に入った麻であるというのは、麻笥と共通する。したがって御札が降ったのなら、桶も降るいう連想が働いたのだろう。
 あとは「桶→風呂桶→娘入り」と話に尾ヒレが付いてゆくのは、前述の通り。

 以上は、数年前に書いておいたものなのだが、今回、柳田國男の座談会の出典が判明した。
 文藝春秋の文春文庫『妖怪マンガ恐怖読本』(1990) である。対談集などの本を探して見つからず諦めていたところだった。昭和初期の雑誌『文藝春秋』から再録の座談会である。菊池寛、芥川龍之介なども同席している。

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教育勅語に文法間違いあれば

柳田国男は、教育勅語には公衆道徳についての視点が欠けているなどと、地方の講演でよくしゃべっていたら、官憲ににらまれたものだと語っている(柳田国男対談集)。
なるほど……。むろん日本人に元々欠けているのではなく、あの文章に欠けているという意味であろう。
小さな村で、互いを尊重し、助け合い、故郷を愛し、その山や川を守るのは、生活の常識であって、外から教えられなくても、昔から受け継いできたことだった。

教育勅語にも「博愛衆ニ及ボシ」という文句があり、これ自身は良い言葉だと思う。「博愛衆に及ぼし」なので、主語は別にあり、「衆」はここでは博愛を及ぼす対象である。すると主語は、衆の中の人でもあるだろうが、それより少し高いところにいる人を示しているようであり、特に社会の指導者層が肝に命じなければならない言葉なのだというべきであろう。儒教では「仁」に当たるだろうか、どのような行為が、この博愛に相当するのかを、詳細に極めてゆくのも良いだろう。

さて、よく言われる「教育勅語」の一部の文法間違いの話。、

教育勅語には、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という一文があり、「緩急あれば」の「あれば」は文語では已然形の順接の助辞なので、仮定の意味ならば未然形の「緩急あらば」とするのが正しいようである。
万葉集で似たような形の文脈のものを探すと、次の歌があった。

  事しあらば小泊瀬山の石城にも、隠らば共に。な思ひ。わが夫(巻16 3806)

 小泊瀬山の石城とは、葬地のことである。もし何か事があれば、死ぬなら一緒だという。だから思い悩むことはないと、夫ないし恋人に応えた女の歌だろう。
 「あらば」は「未然形+ば」であり、この歌の「事」は未だ起こっていない。未だ存在しないので、未然形になるのだろう。
 一方、「已然形+ば」には、次のような歌もある。

  家にあれば、笥に盛る飯を、草枕旅にしあれば、椎の葉に盛る(有間皇子 巻二 142)

この「家にあれば」は一見、条件句のように見える。しかし、飯を家では笥に盛ることは常に確定している。已(すで)に決まっていることで、已に毎日そうしてきた。これから起こるかもしれない新しい事件ではない。そういうときに、已然形になるのだろう。
「旅にしあれば」は、まさに今旅の途中にあることであり、確定している事実である。

(ここで、ひとこと。表題の「教育勅語に文法間違いあれば」の「あれば」は、その間違いが確定している事実を受けた「已然形」の表現であることを、読み取っていただけたろうか。)


このへんのところは、曖昧にしている辞書もいくつか目についたが、明快な解説を求めるなら、丸谷才一の本を読むのがよいだろう。

エッセイ集『低空飛行』によると、教育勅語の発表直後に、大言海の著者・大槻文彦教授が文部省に出向いて「アレバは印刷上の間違ひだから早速アラバに直すように」と申し立てたが取り上げられなかったという噂があったという。「印刷上の間違ひ」といったのは、相手のメンツに配慮した表現なのだろう。
文を起草した漢学者の井上毅は、間違いを恥ぢて漢学者であることをやめ、その後は国文学に転向して国文学者として良い仕事をなしたという美談があるという。起草を依頼されたほどの学者が、国文を一から学び直したということらしい。江戸時代から漢学者の訓読文には国文法に不十分なものがあり、その延長上のことだろうという。
芭蕉や井原西鶴なども、そのへんはルーズというかラフであったらしく、間違いはよくあることであって、恥じる必要はないという。作家や一般人はそれで良いのだろうと思う。政治官僚がどうするかは、よくは知らないことではあるが。

余談になるが、江戸時代までの漢学者は、国文を一段低いものとして軽視していたから、そうなるのだという意見もある。確かに本居宣長以外は仮名遣いはルーズなものばかりだ。私が思うのは、漢字には実際には無数といっていいほどの異体字がある。それらについて「ヽ」が一つでも二つでも変らない同じ字として読んでいくので、微細なことにはこだわらないのだろう(本字と異体字の区別は除いて)。書では、一画一点の間違いは間違いではないと、ある年配者が言っていた。それでカナの一字程度にはこだわらなかったのではなかろうか。明治になって「歴史的仮名遣い」が議論され始めたのだろう。

ところで、アレバという同じ語形なのに、文語と現代語ではなぜこれほど大きな意味の違いになってしまったのだろうか。アラバがなぜアレバになってしまったのだろうか。高校時代の古文の授業や試験で、これに悩まされた人は多いのではなかろうか。
そのへんのことについて、続きを書ければと思っている。
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親子成り

親子成り
その昔、地域社会がよく機能していた時代は、子育てや子どもの教育に、地域の役割は大きかった。子どもはみな村の子であり、長屋の子であって、悪さをする子どもは近所の小父さんにこっぴどく叱られもする。今は家族にかかる比重がかなり重くなった。
家族以外の人との関係も、昔は自然に習得できたのだが、今は子どもは自分で努力しないと最小の関係も築けずに、社会への適応ができないことも多いらしい。
今も昔も、家族以外の人と親密な関係をつくることの重要さについては、変らない。

日本には実の親子ではない仮の親子関係をいう「○○親」という呼び名がいろいろある。子どもが大人へと成長する過程での、通過儀礼に関する呼び名が多い。
 取り上げ親、拾い親、名付け親、乳付け親、守り親、帯親、烏帽子親、元服親、前髪親、筆親、仲人親、など。
これらを民俗学では「親子成り」と総称することもあるが、そのときの関係が一生続く例もあるとのこと。そしてこれらは、実の親がいなくとも、みな成人できる社会であることを物語る。よっぽどの問題児でもなければ、親の代りはいくらでもあったといっても過言ではない。問題児ですらその筋の親分の世話になることができた。通過儀礼に直接関係ないものでは、里親、草鞋親などがある。
 兄弟についても兄弟子、弟弟子などあり、ともあれ、こうした伝統は、今後の家族の問題を考えるにあたっても、重要なものとなるだろう。

以上は昨年書いておいたメモ書きである。
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公益法人としての宗教法人

公益法人とは、法理用語であるが、広辞苑では次のように説明されている。

「公益法人  宗教・社会教育・慈善・学芸その他公共の利益を目的とし、営利を目的としない法人。⇔営利法人。」

公益法人にはどんなものがあるかというと、
宗教法人(神社や寺)、学校法人(私立学校)、医療法人(病院、診療所)、社会福祉法人、社団法人、財団法人、などである。
そのうちの、宗教法人は、宗教法人法によって、学校法人は私立学校法によって、その要件や、認証。認可の手続きが定められている。

最近の旧統一教会をめぐる言説の中に、宗教法人が税制で優遇されるのは信教の自由を保護するため、というのがあるが、それは十分には正しくないであろう。優遇される理由は、学校や病院や福祉施設と同様に、公共の利益を目的とした公益法人の一つだからであろう。

旧統一教会も宗教法人であるので、公益法人の一つである。問題は、公益法人の名にふさわしいかどうかである。

 (2)
 旧統一教会被害者弁護団の紀藤弁護士によると、解決のためには、これまで日本人が経験しなかったような厳しい態度で臨むことが重要であるとのことである。
 日本人は厳しさに欠けるところがあるということだろう。
 阿部謹也『近代化と世間 ---私が見たヨーロッパと日本』朝日文庫
という本の83ページに、次のようにある。

「ドイツでは非優先の道路から優先道路に出るときには絶対に一時停止しなければならない。優先道路を走っている場合には左右に気を配る必要はあるが、スピードを落とさずに走ることが出来る。日本ではそのような場合事故が起こればどちらにも責任があるとされる。したがって優先道路を走っているメリットはほとんどないことになる。このようにドイツでは責任と義務の関係が明白である。」

 同じ日本人どうしなら被害の側が「自分にも責任の一端が……」などと言うのは挨拶言葉としてはよくあることであり、相手も同じ日本人の意識が共有されていて、「とんでもありません。全て自分の落度であって……」と返す関係なら、それで問題なかったのだろう。そうした古い慣習とは別の欲得が入りこんでいる場合は、そうはいかなくなる。また、自分だけの小さい被害だけでは済まない事件になることもある。
 前述の交通事故の事情について、最近はどうだろう。全て保険会社任せになっているので、当事者はよくわかっていないかもしれない。
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統一教会の問題

1970年代後半ごろの統一教会は、各大学で原理研究会、聖書研究会なるサークルを作り、勧誘した学生たちを一日中ビデオ漬けにして洗脳するというものだった。
家庭用VHSデッキが発売されたのが、1976年のことで、値段は20万円以上だったらしいが、金のある組織が、時代の最先端機器を利用したことになる。
「映画は受動的に観るだけで頭を使わず、脳に良くない」というのは、世界一知能指数の高いとされる女性の言葉だが、なるほど一理はあるであろう。洗脳には打って付けの道具になる。
今回の狙撃犯は、安倍首相のビデオメッセージを何度も見て怒りを募らせたのであろう。そうした効果もあるのだろう。

その後、1980年代のバブル経済のころは、統一教会による霊感商法なるものが騒がれた。世間では土地投企などが蔓延し、土地を売れば高額な現金収入になった時代でもあった。
90年代は、有名芸能人が参加した合同結婚式で騒がれた。形式の異様さとともに、教団自らが、教祖の初夜権の名残りであることを示唆するような説明をしていたのには驚いた。教団の源流となった団体が、元々いかがわしいものだったらしく、近代父権制イデオロギーに偏重した結婚思想は、後の選択的夫婦別姓反対やマイノリティ差別と同根とみて間違いない。
自民党の議員秘書の多くは、統一教会からの派遣であるとは、90年代からいわれていた。教団員である秘書が、関連団体のイベントに際して祝電を打つのなら手慣れたものである。秘書が関連団体だとは知らなかったということはありえない。

00年代はマスコミで騒がれることが少なくなったが、最近の報道によると、2012年ごろから、教団は新たな問題を拡大させてきたようだ。
2012年に教祖の文鮮明が死に、分派のようなものができているらしい。といっても分派が独立の宗教法人として認可を受けているとは思われず、上納金を競っている程度ではないだろうか。上納金が多ければ、教団内での地位が上がるのだろう。上納金だけでなく、与党への浸透度についても競ってきたのだろう。2012年は2次安倍政権である。
土地を売れば手軽に現金収入になる時代ではなくなったが、どこかにアブク銭はあるのだろう。政治がらみの銭もその一種かもしれない。
90年代以前は、入信者になった者を周囲がカルト教団から引き離すことに努力してきたが、信者の二世問題という複雑な問題があることもわかってきた。

(中略)
日本人は何事も常に性善説で対応してきたことが多かったのではないかと思う。特に海外からのものに対して無批判的に受け入れることによって短期間での経済繁栄を成功させた体験もある。グローバル社会の中では、それでは日本自身を滅ぼすことになることを、学ばねばならなくなるような気がする。

目的と手段の問題。目的のために手段を選ばない者たち。
目的は当事者が正しいと思っていれば良いわけではなく、手段のありかたによって目的の正しさが保証されるものであるということ。
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御伽かるた

otogikaruta.jpg
「御伽かるた」というものがあり、むかし駄菓子屋などで売っていたものではないかと思う。復刻版などもあるようだ。
読み札もあり、テキストにしてみた。ただし歴史的仮名遣に変えた。というのは、囲炉裏(ゐろり)、絵(ゑ)、踊(をどり)など、歴史的仮名遣は正確だったからである。絵札上の「お」と「を」は逆だが、「踊(をどり)」「乙姫(おとひめ)」という言葉は間違いないので、画家による書き間違いだろうか。

一寸法師はお椀の舟 〔一寸法師〕
牢に入った欲張り爺さん 〔花咲爺〕
はやく芽を出せ柿の種 〔猿蟹合戦〕
握り飯と替へた柿の種 〔猿蟹合戦〕
掘れ掘れわんわん大判小判 〔花咲爺〕
下手な踊りでこぶつけられた 〔こぶとり爺〕
とった渋柿投げ付けた 〔猿蟹合戦〕
ちくりと刺した蜂の針 〔猿蟹合戦〕
龍宮城は海の底  〔浦島太郎〕
ぬっと大鬼現はれた 〔一寸法師〕
瑠璃や真珠で輝く御殿 〔浦島太郎〕
をどり上手なお爺さん 〔こぶとり爺〕
わった臼たく隣の爺さん 〔花咲爺〕
かちかち山でやけどした 〔かちかち山〕
欲張り婆さんお化けのつづら 〔舌きり雀〕
たぬきのお舟は土の舟 〔かちかち山〕
れつを作ってお伴する 〔桃太郎〕
そっとのぞいた隣の爺さん 〔花咲爺〕
つづらから出た宝物 〔舌きり雀〕
ねもとのほらで雨宿り 〔こぶとり爺〕
波をくぐって亀の舟 〔浦島太郎〕
来年の春にまたきませう 〔舌きり雀〕
むりに鳴かして掘ってみる 〔花咲爺〕
うさぎのお舟は木のお舟 〔かちかち山〕
ゐろりから栗がとびだした 〔猿蟹合戦〕
のりこえ攻めいる鉄の門 〔桃太郎〕
乙姫様のおもてなし 〔浦島太郎〕
熊もころりと負けました 〔金太郎〕
やねから臼が落ちてきた 〔猿蟹合戦〕
まさかりかついだ金太郎 〔金太郎〕
けだもの集めておすもうごっこ 〔金太郎〕
ぶんぶく茶釜は芸上手 〔ぶんぶく茶釜〕
腰につけたはきびだんご 〔桃太郎〕
えものはうれしい打出の小槌 〔一寸法師〕
寺の茶釜に尾がはへた 〔ぶんぶく茶釜〕
足柄山でお馬のけいこ 〔金太郎〕
さるももらったきびだんご 〔桃太郎〕
きじがつなひくえんやらや 〔桃太郎〕
ゆめとすごして月日をわすれ 〔浦島太郎〕
芽が出たのびた実がなった 〔猿蟹合戦〕
みやげにもらった玉手箱 〔浦島太郎〕
舌きり雀のお宿はどこだ 〔舌きり雀〕
絵をかくように花が咲く 〔花咲爺〕
姫のおともの一寸法師 〔一寸法師〕
桃の中から桃太郎 〔桃太郎〕
せいを打ち出す打出の小槌 〔一寸法師〕
雀とをどるお爺さん 〔舌きり雀〕
京へのぼってご奉公 〔一寸法師〕

ざっと数えてみたところ、次の10の話からとられていた。ただし()内の数は正確でない可能性がある。
 花咲爺    6
 かちかち山  3
 ぶんぶく茶釜 2
 猿蟹合戦   7
 金太郎    5
 舌きり雀   5
 桃太郎    6
 一寸法師   6
 浦島太郎   6
 こぶとり爺  3

 楠山正雄の再話で『日本十大昔話』というのがあり、7つは同じだが、
 一寸法師・浦島太郎・こぶとり爺の3つではなく、次の3つが入っている。
 くらげのお使い・ねずみの嫁入り・猫の草紙
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障害者と神話的作法、女人救済

身体障害者をテーマにした小説などを書きたいと思ったとき、実在の人物をモデルにすることが憚れることもあろう。モデルの人物を詮索されないためにはどうすればよいか。それは、物語の背景となる時代を、現代ではなく、遠い過去の時代の歴史物語に変えてしまうのも一つの方法だろう。歌舞伎の忠臣蔵が南北朝時代の話として書かれたように、である。歴史上の人物・古い物語の中の人物と、書きたい人物とか重ね合わされたような人物として書くやりかたもある。ともかく、障害をもったまま亡くなる人への供養が大事だ。

記紀の神話の時代から、障害者らしき人の物語は少なくない。
「おかくじら」というブログは、よくまとめて書かれていると思った。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2020/11/post-c1ae72.html
こういう人たちは、昔は現代のような差別とは遠く、特異な霊能力者のように描かれることも多かった。
他に、説経節などにも、同類の話は多かったと思う。


説経節については、12月の記事
https://nire.main.jp/sb/log/eid303.html
で、「『愛護の若』は、現代語の本が少ないかもしれない」と書いた。
その後、京都で発行されている同人雑誌に、現代語訳の投稿が掲載されていることを調べたので、取り寄せて読んでみた。
一般の解説によると、「愛護の若」は説経節のなかでは時代のもっとも新しい作らしく、伝わる本も浄瑠璃の形式の本だけであるという。作品に新しい時代の内容がかなり含まれるようになったと説明されるが、その「新しさ」とは何のことかの説明は、わかりにくいものだった。
その雑誌で読んだ現代語訳の「愛護の若」は、いかにも女の情念の表出といった感があり、山本健吉のいう女人救済のための浄瑠璃という印象は薄いものだった。「愛護の若」とは、継母が継子を恋慕したが叶えられず、死後に大蛇となって、のちに入水した継子(愛護の若)の身体にからみついて思いをとげるという話なのだが……、1月になってから、この話は一種の心中物ではないかと思った。愛護の若とは、心中物の萌芽ではないかと。愛護の若の「新しさ」とは、心中物への過渡のことであるとすれば、じつにわかりやすい説明になる。浄瑠璃の年表では、このあとに近松門左衛門の心中物が続くからである。現代語訳は、現代人が心中物に寄せる悲哀のイメージに沿って書かれるのが良い、という結論になる。今どきの成熟した女の少年愛ではマニア小説になってしまう。

障害者の話にもどるが、先ごろ自分の中学生時代の自作の物語や漫画類を整理してみたところ、昔話の「手なし娘」のような人物が、複数の作品に登場していた。それらは社会の障害者問題を扱ったものではなく、一種の神話的な作りかたであり、作劇法としては幼いためであろう。手塚漫画の『どろろ』の影響もあるだろう。『どろろ』とは、百鬼丸という少年が、父の欲望のために身体の百の部位を生贄として差出されたまま誕生し、父の犯した罪の贖罪として、旅を続けながら百の魔物を退治して百の部位と自らの生を取り戻すという、神話的な話である。百鬼丸の話が象徴的でわかりやすいのは、近代の作であるからだろう。古い物語ではそんな簡単にはいかないが、神話的な作法がふくまれていることは考慮しておかねばならない
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空想科学漫画『忘れられた小道』

ブログ「しらふ語り」
の、こんな記事
空想科学漫画『忘れられた小道』全1冊
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音楽の「楽」とは

「音楽は楽の字がつくのだからタノシクなければならない」というコメントを見たので、そうではないだろうということで、「楽」の意味から考えてみる。

 広辞苑に
  き-ど【喜怒】 喜びと怒り。「‥哀楽」
とあるが「喜怒哀楽」の項が、(使用の版に)ないのは何故だろう。
 小学館国語大辞典では、
  きどあいらく【喜怒哀楽】喜び、怒り、悲しみ、楽しみ。さまざまな人間の感情。
これだけではよくわからない。
 タノシミとは「喜び」とどう違うのか、喜怒哀楽の4つのうち2つが似ているのは単なる数合わせのためなのか、若いころそんなことを思っていた。あるとき、
 「楽」とは「安楽」のこと、「やすらぎ」のことではないかと気づいた。他の3つよりも次元が高いような感情である。特に老齢をむかえた人にとっては、理想的な感情であろう。

 音楽は神に捧げるものとして生れた。神を慰めるためともいう。「なぐさめ」の「なぐ」とは、凪ぎ、和むなどと同源であろう。反対語は「荒れる、荒ぶ」など。荒魂(あらみたま)に対して和魂(にぎみたま)という言葉が、古事記などにも出てくるが、「にぎ」というのも「なぐ」と同源であろう。荒魂を鎮めるためのものが音楽であるなら、現代人のそれぞれの私的な楽しみなどとは様相を異にしてくるであろう。

 大衆歌謡に目を転じてみると、記紀時代の童謡(わざうた)がある。意味不明の歌が多く、あまり研究は進んでいないのかもしれない。
 日本人は曖昧な表現を好んで、あとは感受性を共有する人に察してもらえばじゅうぶんだと思っているのかもしれない。
 西条八十以来の象徴的な表現は、日本人には受け入れやすいと思う。

 戦後のヒット曲「テネシーワルツ」の日本語の歌詞(思い出なつかしあのテネシーワルツ……)は、オリジナルとは全く別物らしい。オリジナルは、恋人を親しい友に奪われた女の絶望を歌ったものという。欧米の歌謡には絶望を直接うったえるものも多いかもしれない。高石ともやとナターシャセブンが紹介したカントリーソングにも多い。「柳の木の下に」という失恋と自殺をうたった曲(編曲は陽気な)は、岩井宏の「かみしばい」というノスタルジックな歌詞のものと、ほとんど同じ曲に聞こえる。
 やりばのない不幸の感情をうったえる歌は、『アメリカを歌で知る』 (ウェルズ恵子著、祥伝社新書) によれば、ごく普通のフォークソングである。

 シャンソンでも同様なのだろう。当時、多くの訳詞をてがけた、なかにし礼、安井かずみなど、 どんなふうに訳したのだろう。既存の平凡な抒情だけの歌詞には、いらだちをおぼえてはいなかったろうか。平凡なものばかり見せられれば、第二芸術論とか短歌的抒情の否定などという言葉にひかれる一般人がいたのもうなづけようというもの。
 森田童子の作詞も、こういう流れの中にあるのだろう。

 古い日本の歌謡では、大正〜昭和初期の、『金色夜叉』『燃ゆる御神火』などは、第三者が物語のように悲劇を語る形式である。
 一人称の悲劇の歌謡というのは、歌劇などの伝統のある欧米なら、日常的な歌の形式なのだろう。
 日本の江戸時代の芝居では、「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん、私を薄情な女とお思いか、人の落目を見捨てるを、廓の恥辱とするわいなあ」 (『お俊伝兵衛、近頃河原達引』)などという心中物の名文句もあるそうだが、どうだったろうか。

以上は森田童子についての2つめの文である。
3つめは、「時」の理解について、抒情の問題とからめ、森田童子の発言から考えてみようと思う。2020年1月に新設したブログカテゴリ「時間の話」のカテゴリになる。
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笑いとパロディ

 笑いやユーモアとは何か、というテーマに興味を持ったのは十代のころで、新書判の解説本などをいくつか買い求めたことがあった。あまり満足のいく本はなかったように思うが、当時の本は、社会諷刺による笑いが最もランクが高いような書き方のものが多かった。1970年前後のことなので、政治的な批評を重視した時代の風潮のためなのだろう。その後も、古書店などで、目に入った本などを買い足している。本当に面白いと思った本にはまだ出会っていないが、いつか、笑いについて何か書かねばならないと思い続けてきた。
 私のテーマは、喜劇などで、なぜこの場面が笑いをさそうのだろうということにつきる。内省的な分析、そして脚本上の技術的な効果の問題などもある。
 最近、柳田國男の『不幸なる芸術・笑の本願』などを拾い読みしたところ、笑いと笑みは違うという話はもっともだが、笑いをふくむ芸能の歴史に主眼があり、笑いも学問の対象になるのだという力説はもっともだが、関心の方向が違うのかもしれない。

 1990年代に、NHKテレビで「お江戸でござる」という番組があり、その舞台でくりひろげられる笑いに、懐かしい質の笑いを感じたので、そのへんの所から書きはじめるのが良いかもしれないと思ったこともある。それからさらに20年以上も経過した。

「お江戸でござる」で今でも記憶にある笑いは、3人が相互に借金の約束をするという話で、たしか江戸時代の戯作か何かに元ネタがあったと思う。
 その話は、ある商人の男(A)が、取引先から入金の予定が1日遅れると連絡があったが、そのお金はどうしても明日の内に入り用なので、困ってしまった。そこで友人(B)に1日だけ金子を借りられれば明後日には必ず返済できるのだがと相談したところ、友人は江戸っ子らしく二つ返事で自分が何とかすると引き受けた。
 とはいえ友人も手元にお金があるわけではなく、馴染みの花魁(C)にそのことを話すと、花魁は身請けが決まっていて、明日身請金が入る予定なので、1日だけならそのお金を融通しようと言う。友人(B)は大喜びで商人(A)の男に報告。
 さて何が問題なのかというと、花魁を身請けする男とは、その商人の男(A)のことで、どうしてもその日に入用の金とは、身請け金のことだったのである。3人はそれぞれお金を用立てる約束をしたが、当てにしている入金はそれぞれ3人のうちの別の相手であり、それではぐるぐる回りになって、そのお金はどこにも存在していないという可笑しさ。借りる側としてはお金を催促するのも遠慮がちの涙ぐましい笑いもあり、観客はことの一部始終を見て全てを知っているので、可笑しくてたまらないわけである。

落語によくある笑い、「失敗による笑い」に分類できるかもしれない。また、気を使いすぎたときの笑いというのもあると思う。

「失敗の笑い」については、本人にとっては顔から火が出るほど恥かしいものでもあるが、場合によっては自虐ネタにすることもある。
 言葉使いをうっかり間違ったとき、みんなで笑ったときの楽しさが記憶に残り、わざと間違った言い方を繰返しているうちに、だんだんとおかしみが薄れ、違和感まで消えて、普通の言い方の一つとして定着することもあるのではないか。古語から現代語へと変化してきた途中のどこかには、そんな間違いがきっかけになったこともないとはいえまい。となると失敗や笑いが歴史を動かしたのである。

 気を使いすぎて遠回しに言ったことを勘違いするようなギャグは、昭和初期のアメリカ映画にも多かったと思う。故郷の異なる開拓民が集まって一つの町に住んだアメリカ人も、互に気を使ったことだろう。江戸の笑いにも似たところがある。
 そうした見知らぬどうしが気を遣うのは、都市文化だけだろうか。
 日本人は、内と外の区別意識が強いといわれる。家族以外は「外」の領域であり、村の中でも気を使うことが多かった。夫婦でさえ気をつかうこともある。

 ここで、美術史に関する本で、小林忠『江戸の画家たち』という本を読んでいたら、鈴木春信の見立絵について論じている部分が目に入った。

「四周を海に囲まれた列島の内で、かつて単一の民族が濃密な文化伝統を共有してきた我が国では、たがいのコミュニケーションが至極容易に成り立ち得る便宜がある。一を聞いて十を悟るといった、相手の心に寄りそっての親密な理解が、往々身分や階級の枠をもこえて可能となるような、恵まれた環境が古来用意されていたのである。」

 そうした対象への推量や想像の共有があるから、俳句や短歌などの短詩型の文学も繁栄したのだろうという。

「あえて直接的な表現を避け、比喩、暗喩の機智が楽しまれる傾向が強いのも、相手の思いやり深い推察を期待する「甘え」の心理が働いているのであろう。」

ここでいう「単一民族が濃密な文化伝統を共有」とは、笑いについてではなく、著者がのちに述べようとする和歌の本歌取りや見立絵についての「序」のような部分である。ここでは、濃密な関係でなくても、「直接的な表現を避け」遠回しな言い方をする例は山ほどあることを確認したい。

 ものごとを遠回しに言うために、誤解もおこりやすい。そこに笑いも生れる。

 昔読んだ笑い研究の本では、失敗による笑いを「嘲笑」の笑いに分類して、嘲笑の心理は価値が低い、社会諷刺の笑いのほうが上位であるという本が多かった。しかし誤解による笑いは、嘲笑だけなのだろうか。
 落語の「てんしき」では、医者の言う「てんしき」という言葉を、僧は推察して「呑酒器」と解釈した。酒を呑む器、盃のことだろうという。聞くは一時の恥という訓を怠って、知ったかぶりをするという点では、嘲笑の要素もあるだろうが、言葉の語呂合せのようなおかしさが大きいと思う。よくぞそこまで推察したという努力も、おかしいと思う。

 先の小林忠氏の本では、読み手の推察や想像を期待して、和歌では「本歌取り」という技法が成立したという話になり、本歌取りに相応する絵の技法が、見立絵ということになる。
 鈴木春信の「見立て菊慈童」という絵は、岸辺に咲く菊の花の前に、美人がひざまづいているだけで、美人画の一種でもある。菊慈童とは、中国の故事にある、皇帝に寵愛された小姓の名だが、その小姓に見立てた絵ということになる。したがって一種のユーモアも感じられる絵であるが、中国の故事では悲劇の童でもある。重層的な想像の世界が広がって、絵をみたときの感慨に厚みを増してゆく。
 さまざまな見立絵のなかには、笑いがメインになっているようなのも多い。パロディづくめの絵もある。パロディという言葉は、日本語ではないが、しかし日本にパロディの文芸などがなかったわけでもなく、江戸の戯作などはパロディばかりである。
 たとえば江戸時代には、百人一首のパロディ本が何十種類……何百かもしれないが、大量に書かれ、出版されている。その数については、コレクターがいるだろうから、聞いてみてもよいかもしれない。そのほか、平家物語や源氏物語、さまざまの古典をパロディ化して庶民を楽しませた。古典といっても義経や弁慶の話など、子供でもよく知っている話が多いのである。日本では口承文芸といわれる多くの物語があり、歴史物語も混在して、多くの国民の共有知識になっていた。西洋では共有の物語は聖書の話が多いので、笑いの対象にはなりにくかったのかもしれない。

 笑いについては、パロディを中心に考察してゆくのが良いのではないかと思う。パロディは、さまざまな知識の共有が前提になる笑いであるので、知的な笑いのように分類され、庶民の笑いではないように考えられてきたかもしれない。しかしパロディは必ずしも高度で知的な笑いというわけでもない。
 たとえば、童話や昔話には、よく「繰返し」のパターンがある。「花咲爺」でいえば、正直爺さんの行動を、隣りの爺がそっくり真似ようとする場面がある。これを行動のパロディとみることもできる。新しい童話(小沢正のものなど)を読むと、繰返しの場面は必ず笑いがともなうので、昔話でも同様だったと考えて良いと思う(ここが重要)。そうした物語の繰返しや、人真似をする場面などは、それ自体を一種のパロディとみなしうるのである。こうした類のパロディをふくめて考察してゆけば、パロディとは必ずしも広範な古典の教養を必須とするものではないことも明らかになるだろう。

以上のことを書いてきて、十代のころに課題とした一つのテーマについて、半世紀を経て、ようやくその糸口が見えてきたような気がする。
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