和泉式部の足袋

杵島郡有明町大字田野上字泉 旧錦江村

 むかし杵島郡の和泉村の福泉寺の僧が、仏に供へた茶を裏山に撒かうとすると、白鹿が飲んでしまった。鹿は毎日現はれて茶を飲んだ。ある日、堂の裏で赤子の泣く声がしたので、僧が行って見ると、鹿が人の子を産んで(ちち)を与へてゐた。この子は、寺で子授けを祈願してゐた大黒丸の夫婦に引き取られ、九歳のときに京へ上って宮仕へをしたといふ。娘は和泉式部と呼ばれ、あるとき故郷の錦浦に歌を送って来た。

 ○ふるさとにかへる衣の色朽ちて、錦の浦や、きしまなるらん  和泉式部

 和泉式部は、鹿から生れた鹿の子であったので、生れながらに足の指が二つに割れてゐた。それを隠すために母は足袋を発明して娘にはかせたといふ。(柳田国男・和泉式部の足袋)

 丹後国での話だが、翌日の狩猟に備へて和泉式部の夫の藤原保昌らが準備をしてゐると、夜更けに鹿の声が聞えた。和泉式部が鹿を憐れんで歌を詠むと、保昌らは心を打たれて狩りを中止したといふ。(古本説話集)

 ○ことわりや、いかでか鹿の鳴かざらん。今宵ばかりの命と思へば 和泉式部