三島大明神

大山祇神社、高縄神社

 大三島の大山祇(おほやまつみ)神社、北条市の高縄神社は、ともに三島大明神と呼ばれる大山積(おほやまつみ)神をまつり、伊予の豪族河野氏の氏神でもあった。河野氏の祖先の越智高縄といふ人のころ、高縄山(北条市)の頂上に居城をかまへ、神功皇后の新羅征伐にも従軍したといふ。越智氏は代々、大三島の大山積神を氏神としてゐたが、推古天皇の御代に高縄山に新たに社殿を造営して、その先祖の霊とともに大山積神を祀ったのが高縄神社(三島大明神)であるといふ。この越智氏の別れの河野氏は、河野郷(北条市)を拠点として瀬戸内の海運を掌握して勢力を拡大し、河野水軍を率ゐて源平の戦や蒙古襲来時に最大の活躍をした。河野水軍の分派には村上水軍もある。時宗の一遍上人も河野一族から出たといふ。

 むかし越智玉興が、備中の海上で水に餓ゑた時、三島大明神に祈って、海中から清水を授かったといふ伝説や、源頼義が祈願して一子を得たといふ伝説などがある。

 三島大明神は祈雨の神としても知られる。平安時代に藤原実綱が伊予守として伊予に下向したころ大干魃があり、京からともに下向した能因が歌を三島明神に献納したら、雨が降ったといふ。

 ○天の川苗代水にせきくだせ天くだります神ならばかみ      能因

雀鷹(つみ)を題に詠んだ歌(「しもと」は若枝のことだが、刑罰の道具にもなる)

 ○伊予路行く大山つみは、三島江の秋のしもとか、鳥をとるらん  藤原定家