むかし少彦名(すくなひこな)命が死にさうになったとき、大国主(おほくにぬし)命がトンネルを掘って九州の別府温泉の湯を引き、その湯に少彦名命を入れた。すると少彦名命は、「暫し寝(い)ねつるかも」と言って起き上がり、元気になったといふ。この湯は、熟田津石湯(にぎたづのいはゆ)と呼ばれ、景行天皇以来、たびたびの天皇の行幸があった。今の松山市の道後温泉のことである。(風土記逸文) 斉明七年には斉明天皇を乗せた百済救援の船も訪れてゐる。船出のときには、天皇に代はって額田王が歌を詠んだ。 ○熟田津に舟乗りせむと、月待てば潮もかなひぬ。今は漕ぎ出でな 額田王 松山市北部の姫原(ひめばら)の地は、木梨軽太子(きなしのかるのみこ)が流罪になった地である。