酒折宮
○新治、筑波を過ぎて幾夜かねつる 日本武尊
○かゞなべて夜には九夜、日には十日を 御火焼翁
尊が旅立つとき、
○語りつぐ御歌とともに、
大嶽山
日本武尊が甲武信の国境の
○赤の浦
蹴裂明神
太古の甲府盆地は湖であったともいふ。二代綏靖天皇の御代に、
甲府盆地が湖だったといふのは、甲斐地方に広く伝はる伝説である。地蔵菩薩の発案で蹴裂明神らが切り開いたともいひ、甲府市の稲積神社では、四道将軍の一人
甲府盆地には水の神をまつる神社も多く、甲府市高畑の住吉神社に伝はる歌がある。
○有難や、今日住吉の神ませば、なほしも頼む代々の行末 武田太郎信義
笛吹権三郎
後醍醐天皇の御代のこと、甲斐国の芹沢という村の
ある秋、子酉川が大洪水にみまはれたとき、母は水に呑まれて行方不明となってしまった。それ以来権三郎の笛は、深い悲しみに満ちたものとなり、村人もあまり近づかなくなってしまった。そのうち権三郎の姿が見えないことに気づいた村人は、心配になって川下の集落を捜すと、筏に乗って笛を吹く男を見たといふ者があった。筏は発見されたが、権三郎を見つけることはできなかった。
この村ではそれ以来、月のよい晩には、どこからともなく笛の音が聞えたといふ。すると村人は握り飯を作って川に流し、権三郎の霊を慰めたといふ。以来、子酉川は笛吹川と呼ばれるやうになった。
○山あらし雪の白波吹き立てて、ねとり流るる笛吹の川 夢窓国師
○峡川の笛吹川を越え来れば、この高はらはみな葡萄なり 窪田空穂
天目山
武田勝頼は、長篠の戦の大敗北以後、劣勢に立たされてゐた。度重なる重臣の裏切にあひ、織田徳川の大軍の攻撃をうけて城を捨て、天目山の麓の田野を最後の場所と決めた。精鋭を選んで押し寄せる敵兵に向って最後の合戦を試み、田野に引き上げて生き残りの臣下とともに自害した。天正十年三月のことである。
○黒髪の乱れたる世ぞ、果てしなき思ひに消ゆる露のたまの緒 相模(勝頼夫人)
○朧なる月のほのかに雲かすみ、晴れて行くへの西の山の端 武田勝頼
○あだに見よ。誰もあらしの桜花。咲きちるほどは春の夜の夢 武田信勝(勝頼嫡子)
武田家は新羅三郎義光(源義家の弟)を祖とする名門である。新羅三郎は笙の名手でもあり、後三年の役のときに死を覚悟し、足柄山で豊原時秋に秘曲を伝授したといふ。
甲斐の黒駒
甲斐盆地では古代から放牧が盛んで、甲斐の黒駒は名産として朝廷に献上された。御坂峠の北の御坂町上黒駒の周辺が特に盛んだったといふ。
○ぬば玉の甲斐の黒駒、鞍着せば命死なまし、甲斐の栗駒 日本書紀
御坂峠の文学碑
○富士には月見草がよく似合ふ 太宰治
猿橋
大月市の桂川の岸壁に架る橋を猿橋といふ。難所の谷であったが、猿たちが手をつないで谷を渡る姿を見て、その形を摸して橋を架けたといふ。猿は近くの山王社に祀られる。
○名のみしてさけぶもきかぬ猿橋の下にこたふる山川の声 道興
諸歌
○惜しからぬ命なれども、今日までぞ、つれなき甲斐の白根をも見つ 平家物語 維盛
・身延山
○うつぶさにさのみは人の寝られねば、月を身延に置きかへるらん 日蓮
・一宮町 浅間神社
○うつし植うる初瀬の花の