蹴裂明神

 太古の甲府盆地は湖であったともいふ。二代綏靖天皇の御代に、向山(むかうやま)土本毘古(ともびこ)王が甲斐国を訪れ、左右口(う ば ぐち)山に住む左右弁羅(さうべら)らの協力を得て、鰍沢(かじかざは)の南の山を足で蹴って切り開き、湖水を富士川に落して、広大な平地を得て国造りをしたといふ。のちに王の葬られた地にまつられたのが佐久(さく)大明神で、蹴裂大明神ともいひ、今の東八代郡中道町上向山の佐久神社のことである。

 甲府盆地が湖だったといふのは、甲斐地方に広く伝はる伝説である。地蔵菩薩の発案で蹴裂明神らが切り開いたともいひ、甲府市の稲積神社では、四道将軍の一人武淳川別(たけぬなかはわけ)命が切り開いたとする。甲府市の穴切大神社では、大己貴命に祈願して、和銅年中に国司以下、多数の人々の力で土木工事をして切り開いたといふ。韮崎市旭町の穂見神社の伝説では、大洪水で甲府盆地が湖水と化したとき、鳳凰山に住む大唐仙人が、蹴裂明神と力をあはせて山を切り開いたとされ、この里の山代王子が新しい土地を開墾して米作りの道を教へたといふ。また蹴裂明神とは安曇(あづみ)氏の祖神の日金拆(ひかなさく)命で、治水の神だともいふ。

 甲府盆地には水の神をまつる神社も多く、甲府市高畑の住吉神社に伝はる歌がある。

 ○有難や、今日住吉の神ませば、なほしも頼む代々の行末     武田太郎信義