古四王神社

秋田市

 古四王神社の社記によると、崇神天皇の御代に四道将軍の一人として北陸道を平定した大彦命が、武神である武甕槌(たけみかづち)命を、雄物川の河口近くの高清水の岡にまつったのが、齶田浦神(あぎたうらのかみ)であるといふ。斉明四年、大彦命の子孫の阿部(あべの)比羅夫(ひらぶ)が越国守となり、出羽地方の蝦夷を平定したときに、祖先の大彦命をここに合祀して古四王神社と称し、更に天平五年、坂上田村麻呂将軍が、この岡に出羽柵(秋田城)を移してその根拠地とし、古四王神社を城の鎮護の神となした。戦国時代には秋田城は日之本将軍安東氏の子孫といふ秋田氏の城となった。田村麻呂将軍は境内の田村神社にまつられてゐる。

 ○広前の雪の白木綿、そのままに手向くる高志(こし)のおほきみの宮  菅江真澄

 秋田山形新潟地方などには、「こし王」(古四王、巨四王、越王)の神が広くまつられてゐる。江戸時代に佐竹藩は久保田城に城を移した。古四王神社近くには護国神社が創建された。