安寿と厨子王、神と仏

『安寿と厨子王』の物語を懐かしく思って、楠山正雄の再話(講談社学術文庫)で、また読んだことがあります。
そのとき、物語の中で、神仏に関する描写というか場面が三ヶ所ありました。どんな場面かというと……

1 山椒大夫の屋敷に二人がとらわれの身となっていたとき、怪我をした厨子王の身体に観音様の小さい仏像を当てると、怪我が回復したこと。病気平癒の御利益ということ。

2 屋敷を一人で脱出して京へ行った厨子王に、のちに後見人となってくれる貴族の男を引きあわせてくれたのが、清水(きよみづ)の観音様であること。一種の縁結びの御利益。

3 死んだ安寿姫は、祠にまつられたこと。祠が小さい神社の意味だとすると、死後は神々に仲間入りしたことになる。

つまり、現世利益は仏様の役割で、死後は神様の役割になっているわけでする。

今の日本人の多くは、縁結びや健康祈願といった現世利益のためには、神社におまいりし、死んだ後はお寺のお世話になるのが普通です。それが安寿と厨子王の話では逆になっているのです。そんなところが、日本の神仏の歴史の謎の一つだと思うのですが、その答えについては、まだよくわかりません。

その後の安寿と厨子王と母の話は、佐渡でのできごとになっています。
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楡山神社 埼玉県深谷市、楡の御神木と年越祭(節分)で知られる神社。

雪月花 季節を感じて

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丑三つ時の歌

昔の時刻の数え方は、日の出から日没までを6等分し、さらに日没から日の出までを6等分し、1つを一時(いっとき)と数えました。一時は今の約2時間のこと。(詳細は7月8日の記事を参照)
また、夜中の0時から子(ね)、丑(うし)、寅(とら)と数える場合もあり、「子(ね)の刻」とは今の午前0時ごろのこと。ただし前後の1時間づつを含めて午後11時から午前1時までが「子の刻」です。「午」の刻が「正午」前後です。
一時(いっとき)の半分が半時(はんとき)で、約1時間のこと。または一時を4等分して、「丑一つ」、「丑二つ」と数え、「丑三つ」は午前2時から2時30分くらいのことになります。「草木も眠る丑三つ時」などといいます。

平安時代のころ、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)という人がいて、良少将と呼ばれていました。ある夜に女と逢う約束をしたのですが、丑三時になっても女の元に現れません。そこで女は、憂し(うし)と思って、少将に歌を届けました。

 人心うしみつ今は頼まじよ
 (人の心が憂し(憎い)と見えたので、今は当てにしません)

すると少将はこんな歌を返して来ました。

  夢にみゆやと寝でぞ過ぎにける
 (あなたと逢う夢を見ようとちょっと寝ていたら、寝過ぎてしまいました)

「寝過ぎ」と「子過ぎ」をかけたシャレというわけです。
7月5日に紹介した「寝坊をしないための歌」を知っていれば良かったのかもしれません(笑)。

女の歌は「5・7・5」、少将の歌は「7・7」で、合わせて「5・7・5・7・7」になります。こういう二人でやりとりして短歌の形式になる和歌を「連歌(れんが)といいます。
この話は後世の『八雲御集』などに載っているもので、事実の話ではないかもしれません。
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「歌語り風土記」の前口上

神話浪漫館歌語り風土記に、次のような前口上を載せました。

日本には、国民の誰もが共有する物語と歌がありました。
源義経やヤマトタケルたち英雄の伝説や、平家や南朝の遺臣たちの落ち延びていった秘話。また、愛護の若、石堂丸、真間の手児奈、生田川の少女などの薄幸の少年少女たち。西行法師やスクナヒコナノミコトらのユーモラスなエピソード。そして古代の郷土を造り成した神々の物語。それらの物語は、美しい和歌とともに時代を越えて語り継がれてきました。
「歌語り風土記」は、忘れてはならないそれらの物語と歌を、短くわかりやすく紹介するとともに、若干の解説をほどこして歌と物語の奥にある日本の自然や神々への信仰の姿を感じ取ることができるようにと、綴ったものです。

こういう説明をあまりしてこなかったようです。
niftyからホームページを分けたあと、新サイトへのリンクは少ないためか、検索でヒットするページが以前より少なくなっています。ある程度はリンクをお願いするようにしないといけないかもしれません。更新が少なかったせいかもしれませんが。
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石鈴と安産の石

自然の石でできた鈴、石鈴(いわすず)というのを、埼玉県のある神社で拝見する機会があった。直径20cm弱の球形のその石を敬虔な気持ちで両手に取ってみると、思ったより軽かった。火山岩でできたものなのだろう。石を耳のそばで少し振ってみると、カラカラと音がした。石の中に空洞ができていて、空洞の中に小石のようなものが封じ込められているようだった。構造は確かに鈴である。この石は明治の初めまで宮司家に伝わったものとのことであった。

その後、南方熊楠のある本で、似たような石について述べられた部分に出くわした。
駿河国、富士山の裾野のある村で、同様の形状の石が保存され、妊婦がお産をするときにその石を腹部に当てると安産になるということだった。「孕み石」と呼ばれていたそうである。
石の中に小さい石を孕んでいる状態の石なので、孕み石という名で呼ぶのもうなづける。

九州では、むかし神功皇后が八幡神(応神天皇)をお生みになるときにお産を軽くした石があったという伝説もある。
出雲地方では、古墳からの出土品で、埴輪と並んで石鈴というものがあり、その画像を見たが、小さい焼物のように見えた。石なのかどうかよくわからない。
石鈴を伝えた宮司家は江戸時代までは村の名主で古墳上に富士浅間神社を祀り富士講を組織して村人こぞって富士登山に出かけたという。富士山に関係ある石の可能性もなきにしもあらず。
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『日本名所風俗図会』角川書店

昭和50年代に角川書店から発行された『日本名所風俗図会』は、江戸時代の諸国の名所図会のおもだったものを、集大成したので、全19冊。当時の絵をそのまま載せ、文章は活字化して多くルビを付した点が実に読みやすい。
「歌語り風土記」を執筆するときも、東京浅草寺の御詠歌や岐阜県の不破の関守の話など、いくつかを同書から参照した。
けれどそのときは数冊しか持っていなかったので、今年の春にネットの古書店で手頃な値段のものを見つけて18冊を購入した(別巻が欠けるのはこの値段ではやむを得ない)。

最近CD-ROM版で販売しているところもあるそうで、
http://www.ozorasha.co.jp/cdrom/Meisho.htm
9点を収録ということだが、角川版の三冊ぶん程度。文献名、地名、人名……等の検索機能はあるが全文検索ではない。つまり古い本のページを画像で収録したものなので、やはりルビつきの活字で読める角川版がおすすめということになる。
以下は、内容をOCRでテキストにしたもの。こうしておくとあとで便利に使える場合がある。

日本名所風俗図会
1奥州北陸 蝦夷島奇観(正・統) 蝦夷風俗図会 奥州名所図会 東国旅行談 松島図誌 三山雅集 東国名勝志 北越雪譜 白山遊覧図記
2関東 日光山志 利根川図志 鹿島志 成田名所図会 鎌倉物語 箱根七湯集
3江戸1 江戸名所記 江戸名所花暦 東都歳時記 絵本江戸土産 墨田川両岸一覧 武蔵野話(正・続)
4江戸2 江戸名所図会
5東山東海 甲斐叢記 富嶽細見記 駿河名所図会 熱海温泉図彙 遠江古蹟之図会 善光寺道名所図会
6東海 尾張名陽図会 尾張名所図会 犬山視聞図会
7京都1 京童 京童跡追 都林泉名勝図会 花洛名勝図会 宇治川両岸一覧
8京都2 都名所図会 拾遺都名所図会 帝都雅景一覧
9奈良 南都名所集 奈良名所八重桜 南都名所記 大和名所図会 吉野山独案内 吉野郡名山図志
10大阪 摂津名所図会 浪華の脹ひ 天保山名所図会
11近畿1 近江名所図会 賎嶽戦場図会 淀川両岸一覧 住吉名勝図合 河内名所図会 和泉名所図会
12近畿2 伊勢参宮名所図会 紀伊国名所図会
13中国 有馬山温泉小鑑 播磨名所巡覧図会 備中名勝考 厳島図会 淡路国名所図絵
14四国 金比羅参詣名所図会 讃岐国名勝図会 阿波名所図会
15九州 筑前名勝画譜 長崎名勝図絵 三国名勝図会 鹿児島風流 琉球談
16諸国1 和朝名勝画図 山水奇観 日本名山図会 日本山海名物図会 日本山海名産図会 五畿内産物図会
17諸国2 東海道名所図会 木曾路名所図会 中国名所図会
18諸国3 西国三十三所名所図会 二十四輩順拝図会
別 風俗の巻
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スサノヲの乱暴〜逆剥ぎ

昨日に続いて、皮を剥がす話。機織の小屋の話も出てきます。

古事記によると、若き素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が荒れ狂ったとき、天の斑馬(ふちこま)の皮を「逆剥ぎ(さかはぎ)」に剥がして、服屋(はたや)の屋根に穴をあけてそこから投げ入れたそうです。

「天照大御神、忌服屋に坐して、神御衣織らしめたまひし時、その服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥に剥ぎて堕し入るる時に、天の服織女、見驚きて、梭に陰上を衝きて死にき。」(古事記)

 「逆剥ぎ」については様々の解釈があるが、通常の剥がし方とは逆の方向に剥がしたということらしい。生贄として捧げられた馬があり、そのあと皮なども無駄なく使わねばならず、皮を剥がすときは普通は尻の部分から剥がすらしい。逆というのは頭から剥がすことで、「逆剥ぎ」は後世まで「天つ罪」として忌むべきものとされた。頭から剥がすと、脱皮する蛇が頭から出てくるように、馬が生き返ってしまうと怖れられたからだ、というのが本当のところかもしれない。

 棚機姫が川岸に棚を設けてその上で機織りをした伝説では、機を織りながら神霊を呼び寄せていたらしいのだが、機織りをしている服屋の屋根の穴から、神霊のかわりに馬の死体を投げ入れたのでは、機を汚すことになってしまうのだろう。
 東北地方には、養蚕の神であるオシラサマの信仰があり、養蚕の神は機織りの神でもある。養蚕の女神は、馬に乗って海からやってきたという話が多い。機織りの娘と馬と伝説は、さまざまに語られて伝承され、スサノヲが服屋に馬を投げ入れたのは、それらに関する何かを犯したことになるのだろう。
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剥けの朔日(ついたち)

時期は6月1日の話。群馬県や栃木県では、この日を「衣脱ぎの朔日(きぬぬぎのついたち)」とか「剥けの朔日(むけのついたち)」といい、昔は7日まえから村人たちが神社に集まってずっとお籠りをしたそうです。ちょうどその時期は、桑畑で蛇が脱皮をするので、畑の中に入ってはいけない、だから養蚕の仕事も休んだということです。
旧暦のころから6月のようですから、ちょうど今ごろの梅雨の長雨の中の「忌み籠り」ということになります。

 花の色は移りにけりな いたづらにわがみ世に降る長雨せしまに 小野小町

百人一首の有名な歌です。「世」とは男女の仲の意味でもあり、長雨のなかを、花を眺めているうちに、花の色が変わったというのですが、色が衰えてゆく嘆きの歌という解釈も多いようです。けれどこの花が紫陽花のことだとしたら、花の色はだんだん赤味をおびて熟してゆくのです。

剥けの朔日とは、水神である蛇の脱皮にあやかって、人間もお籠りをして脱皮するように生命の再生を祈るものとだいわれます。一肌剥けたあとは、赤くみづみづしい肌となるはずです。

現代の6月1日は衣更え。私が若いころは、もっと早く夏服に着替えても良いのではと思いましたが、年齢とともにその時期で良いのだろうとも思います。この衣更えの習慣も、水神の信仰にちなんでその日となったのかもしれません。
最近はクールビズというそうですが、夏も変らぬ背広姿でないほうが、新しい気持ちでものごとにとりくめるような気がします。
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猫の目の形で時刻を知る歌

猫の目の形で時刻を知る歌というのがある。
猫の目が、夜は丸く大きくなり、昼は細く小さくなるのを、その段階に従って歌で詠んで、歌をおぼえて、おおむねの時刻を知るための智恵の歌なのだろう。
時刻は江戸時代の数え方で、猫の目の形は「丸→卵→うりざね→針」にたとえている。

 六つ丸く、四八うりざね、五と七と卵となりて、九つは針   谷川士清

「明け六つ」「暮れ六つ」というように、六つは日の出、日の入りのこと。
日の出・日の入りが、六つ。 →丸く
午前8時、午後4時が、五つ、七つ。→卵
午前10時、午後2時が、四つ、八つ。→うりざね
正午が、      九つ。 →針

歌の語呂の関係で、卵とうりざねは順番通りではない。
たまたま何かで見て手帳にメモしておいた歌だったが、ネット検索で調べたら、作者の谷川士清という人は、今の三重県の津市に生まれた国学者とのこと。
そのほかの時刻の数え方は以下の通り。

明け六つ 日の出
  五つ 午前8時
  四つ 午前10時
  九つ 正午
  八つ 午後2時
  七つ 午後4時
暮れ六つ 日没
  五つ 午後8時
  四つ 午後10時
  九つ 午前0時
  八つ 午前2時
  七つ 午前4時
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いちばん古い七夕の由来

日本の古い年中行事は、1年をきっちり半分に分けたとき、1月からの行事と7月からの行事で、似通ったものが2回繰り返されるといわれます。
たとえば7月15日のお盆と1月15日の小正月、どちらも祖霊祭に原義があります。半年を周期に年月の流れをとられていたからだといわれるわけです。
では7月7日の七夕は、1月のどんな行事に似ているでしょう。
それは、若水汲みになります。

吉成直樹『俗信のコスモロジー』(白水社1996年)に沿って紹介しましょう。
高知県などでの七夕に関する俗信の調査によると、
  里芋の葉にたまった水を集めて顔を洗うと肌が綺麗になる。
  その水でイボや傷・吹き出物につけると直る。
といったことが言われます。他には「その水で墨をすって字を書くと字が上手なる」というのもありますが、これはこの日に技芸の上達を祈るという中国の乞巧奠の影響だろうということです。
里芋の葉の水とは、天から落ちてきた水だと考えられました。そして肌や皮膚に関して人が若返るという信仰は、盆に備えるために禊で清めるというものとは異質のものだろうといいます。皮膚が若返るとは、脱皮を意味するもので、水神=蛇を模したものです。その水神は天に住んでいるのだという信仰なのです。

同じ調査では、6日の晩に14歳以上の未婚の少女たちが一つの宿に集まって、夜を通して、苧(お)を績(う)む行事があったと報告され、かつては全県で同様の行事があったといいます。「苧を績む」とは麻の繊維から麻糸を作ることです。
辞書によれば「苧績み宿」「糸宿」ともいい「娘宿の一。夜間、娘たちが集まって麻糸を紡いだり糸引きの仕事をしたりする集会所。糸引き宿。よなべ宿。」(大辞泉yahoo版)と説明され、全国的な民俗だったようです。
機織りについて糸を績むことと類似の行為と見てよいと思います。

七夕とは、神を祭る棚機姫(たなばたつめ)と呼ばれる女性が、水辺の棚の上で、機を織りながら、神の来訪を待つ神事だといわれます。それは選ばれた特別の女性のようなイメージなのですが、村のすべての少女が集団で行なってきたことだったのです。
七夕の伝説が一人の美しい女性の物語となっていったのは、物語だからそうなったといえばそれまでですが、神に選ばれたという結果から解釈された物語なのかもしれません。神に選ばれたとは、つまり毎年の糸引きや神祭りを続けることによって誰もが結婚の資格を得ていったということなのでしょう。
まだ学校のなかった時代ですから、娘宿では機織などの他にも学ばねばならないことはたくさんありました。あるいは春先には、日中に外へ出て若菜を摘んで自炊したり、さまざまな経験をするところが娘宿だったようです。
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