辞世の歌(戯作者などの)

月おくれのお盆ですが、辞世の歌や句、なかでも戯作者のものや、頓知のきいた歌などを拾いだしてみました。

南無さらば妙法蓮華経かぎり  中村歌右衛門(初代)
  江戸の歌舞伎役者。経と今日をかけて今日かぎりというわけです。

死にたうて死ぬにはあらねどおとしには御不足なしと人やいふらん 朋誠堂喜三二
狂歌よむうちは手柄の岡持ちよ、よまぬだんでは日柄のぼた餅   朋誠堂喜三二
  江戸時代の戯作者で、手柄岡持(てがらのおかもち)の名で狂歌を詠んだ人。
  岡持は料理を入れる浅い桶のことで柄を手で持って運ぶもの。
  日柄は命日の意味。

この世をばどりゃおいとまにせん香とともにつひには灰左様なら  十返舎一九
  線香、灰をかけていますが、掛詞でかけるだけでなく、
  灰は実際にかける物、というところが上手いものです。

人ごみをのがれて見ればはなし塚   三笑亭可楽
今日の旅 花か紅葉か知らないけれど風に吹かれて行くわいな  都々一坊扇歌
  江戸時代の落語家と都々逸の元祖の人。自然体の歌です。

打出しの太鼓聞えぬ真打は、まだ二、三席やりたけれども    正岡容
  作家、演芸研究家。昭和前期に活躍の人。

  江戸時代と室町後期の僧の歌二首。
良寛に辞世あるかと人問はば 南無阿弥陀仏といふと答へよ   良寛
宗鑑はどこへと人の問ふならば ちと用ありてあの世へと言へ  宗鑑
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敬語の力と歌の力

 浅田久子著『敬語で解く日本の平等・不平等』(講談社現代新書、平成13年)という本は出版されてすぐの頃に読んだ記憶がある。そのときのノートから拾い出してみると、
 「敬語は上位者と下位者をつなぐかけはしだった」と著者はいう。著者の論点を整理してみると、次のようになると思う。
 敬語などというと、身分社会の遺物のように思う人も一部あるかもしれないが、ヨーロッパや中国では、昔は身分が違えば言葉も違い、言葉はまったく通じなかったという。ところが日本では通じた。それは敬語があったためで、同じ日本語を共有し、その共通の日本語の上に敬語を発展させて来たからであるという。日本語に複雑な体系の敬語があるのは、身分社会が長く続いたためではなく、身分の違いを越えて古代から同じ日本語で上下の交流があったことの証拠なのだと著者はいう。

 古代から日本人はお互いどうしあまり血を流すことを好まなかった。しかし例外もあって、それは蝦夷や熊襲と呼ばれた人たちに対してである。彼らには当時の中央の「日本語」が通じなかった。だから異民族とみなされ、残酷な仕打ちも受けた。日本人の内と外の観念によると、内に対しては甘え、ひがみ、外に対しては遠ざけ、排除するというところがある。この外に対する排除というのは、あまり語られない、それ自体が避けられてきたテーマであるが、古代史の上では隠すことはできないで文献に残っているといわざるを得ない。

 再び著者の論にもどると、歌は訴えであるとは、よく言われることである。はるか古代に、日本人は神に訴えるときに、通常とは異なる発声で声を上げた。今でも和歌を詠むときには特別な調子がある。この古代の発声が、歌の起源であるという。歌がやがて文学として発展してゆくと、神に訴えるときには、別の方法が必要になる。発声を特別なものにするのではなく、語彙を変へてゆく方法がとられた。それが敬語の発生であると著者はいう。

著者のこの論は、面白い見方だとと思う。
ところで歌は、異民族だった蝦夷との間にも通じたという話が、前九年の役での源義家と安部貞任とのやりとりにある。

戦いに追い詰められた安部貞任が、衣川の館を捨てて逃げようとしたとき、源義家が馬上から連歌を詠み掛けた。
  衣のたてはほころびにけり(衣の経糸と衣川の館をかける)
貞任はこの歌に応じて付けた。
  年を経し糸の乱れの苦しさに(へし、繰る は糸の縁語)
義家はこの歌に感心して、そのまま見逃してやったという話である。

歌にも身分やときには人種を越えて解りあえる力があるという話である。

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概要 本日で10回目の投稿です。今日はこれから実家に帰省します。 本日紹介するブログは、神話の森のブログ様のサイトの紹介です。神話の森神話浪漫館 の神話の森の番人様が運営されているようです。。 歴史とは連綿と続いていくものであるならば、そこには過去があり現在..
日付 2005/08/13
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蜂に刺されないおまじないの歌

夏休みに野山で遊ぶ子供たちは、蜂に刺されないように気をつけなければなりません。

蜂が近づいてきたときは、「アビラ ウン ケン ソワカ」という呪文を唱えると良いとか、口笛を吹くと良いとかいう話もあります。

  軒端なる蜂のずはへに梅咲きて、うそを吹き吹き花をこそ折れ (犬つくは集)

「ずはへ」とは若枝のことと鈴木棠三『日本俗信辞典』にあります。「うそ」とは口笛のことで「嘯」と書きます。
山形県の例では、次の歌を唱えると蜂除けになるそうです。

  わだの原こぎいでて見れば久方のくもりにまがふ沖つ白波

百人一首(藤原忠通)の歌の「雲居」を「くもり」に変えただけの歌で、よくわかりませんが、「お前は蜘蛛だから刺すはずがない!」という意味でしょうか?
そのほか、近くに落ちている平べったい石を裏返しにひっくり返すと良いというのも、広く行われたおまじないです。

古事記の話では、若い大国主命が、須佐之男命から試練を受けたとき、ムカデと蜂の室に入れられて苦行をさせられますが、妻の須勢理毘売(すせりびめ)に教えられて、「蜂のひれ」を三度振って脱出できたという話があります。

さて次の歌は竹の枝にできた蜂の巣(ハチス)を詠んだものといいます。

  末のよは竹もはちすになりければ仏にうとき身とは思はじ  赤染衛門

「よ」は竹の節の意味もあり、「末の世」と枝の「末の節」をかけてあります。
ハチスというと蓮根の意味にもなり、その花が蓮(ハス)ですから、仏とも縁が深いものだというわけです。
軒下に蜂が巣を作るのは、縁起の良いこととされます。よそから持ってきた蜂の巣をぶらさげても無病息災の御守りになるといいます。

Kさんご指摘の蜜蜂についてのサイトhttp://bee.lin.go.jp/bee/history/02_01.html
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丑三つ時の歌

昔の時刻の数え方は、日の出から日没までを6等分し、さらに日没から日の出までを6等分し、1つを一時(いっとき)と数えました。一時は今の約2時間のこと。(詳細は7月8日の記事を参照)
また、夜中の0時から子(ね)、丑(うし)、寅(とら)と数える場合もあり、「子(ね)の刻」とは今の午前0時ごろのこと。ただし前後の1時間づつを含めて午後11時から午前1時までが「子の刻」です。「午」の刻が「正午」前後です。
一時(いっとき)の半分が半時(はんとき)で、約1時間のこと。または一時を4等分して、「丑一つ」、「丑二つ」と数え、「丑三つ」は午前2時から2時30分くらいのことになります。「草木も眠る丑三つ時」などといいます。

平安時代のころ、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)という人がいて、良少将と呼ばれていました。ある夜に女と逢う約束をしたのですが、丑三時になっても女の元に現れません。そこで女は、憂し(うし)と思って、少将に歌を届けました。

 人心うしみつ今は頼まじよ
 (人の心が憂し(憎い)と見えたので、今は当てにしません)

すると少将はこんな歌を返して来ました。

  夢にみゆやと寝でぞ過ぎにける
 (あなたと逢う夢を見ようとちょっと寝ていたら、寝過ぎてしまいました)

「寝過ぎ」と「子過ぎ」をかけたシャレというわけです。
7月5日に紹介した「寝坊をしないための歌」を知っていれば良かったのかもしれません(笑)。

女の歌は「5・7・5」、少将の歌は「7・7」で、合わせて「5・7・5・7・7」になります。こういう二人でやりとりして短歌の形式になる和歌を「連歌(れんが)といいます。
この話は後世の『八雲御集』などに載っているもので、事実の話ではないかもしれません。
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猫の目の形で時刻を知る歌

猫の目の形で時刻を知る歌というのがある。
猫の目が、夜は丸く大きくなり、昼は細く小さくなるのを、その段階に従って歌で詠んで、歌をおぼえて、おおむねの時刻を知るための智恵の歌なのだろう。
時刻は江戸時代の数え方で、猫の目の形は「丸→卵→うりざね→針」にたとえている。

 六つ丸く、四八うりざね、五と七と卵となりて、九つは針   谷川士清

「明け六つ」「暮れ六つ」というように、六つは日の出、日の入りのこと。
日の出・日の入りが、六つ。 →丸く
午前8時、午後4時が、五つ、七つ。→卵
午前10時、午後2時が、四つ、八つ。→うりざね
正午が、      九つ。 →針

歌の語呂の関係で、卵とうりざねは順番通りではない。
たまたま何かで見て手帳にメモしておいた歌だったが、ネット検索で調べたら、作者の谷川士清という人は、今の三重県の津市に生まれた国学者とのこと。
そのほかの時刻の数え方は以下の通り。

明け六つ 日の出
  五つ 午前8時
  四つ 午前10時
  九つ 正午
  八つ 午後2時
  七つ 午後4時
暮れ六つ 日没
  五つ 午後8時
  四つ 午後10時
  九つ 午前0時
  八つ 午前2時
  七つ 午前4時
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旅の心得の歌

前日の『少年探偵手帳』から
忍者の旅の心得の歌。

 道中は、一度にものは食らわずに、休み休みて、いくたびも食え
 腹の立つことも旅はこらえつつ、言うべきことは、のちにことわれ
 道中は、自由をせんと思うまじ。不自由せんとすれば自由ぞ
 得たりとて旅では出すな、わがわざを。隠さぬ人は、難にあうなり
 物言いも、旅ではことに和らげよ。理屈がましく声高にすな
 道中で、立ち寄り見るな。変死人。けんか、口論、碁や将棋

ことを荒立てないように、危険を避けるということでしょう。「旅の恥はかきすて」とは大違いです。

 空腹で風呂に入るな。ことのほか くたびれたなら熱い湯に入れ
 宿とりて、一に方角、二に雪隠、三に戸締まり、四に火の元
 長雨ののちにて山岸を行かば気をつけよ、崖のくづれに
 道中で知りたる者に、薬などすすめられても、ひらに断れ
 渇きても知らぬ山路や谷川の水は飲むまじ、くすりにて飲め
 船中の板子や竿に目をつけて、まさかのときは持ちて波間に

武道や作法、そのほか稽古事などには、よく「心得の歌」というのはあったようです。料理のコツの歌なども聞いたことがあります。
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猫を探すおまじないの和歌

少年探偵手帳「鉄腕アトム」「鉄人28号」などが連載され、ある世代には懐かしい雑誌『少年』(光文社)には、『少年探偵手帳』という付録が付いていたことがありました。江戸川乱歩原作の少年小説「少年探偵団」の小林少年たちが持つ手帳で、団員のしるしである「BDバッチ」の付録も人気がありました。この手帳の内容が文庫本で復刻されたのが、串間努著『少年探偵手帳』(光文社文庫、1999年)です。

その本の中に「猫を探し出す方法」として、次の和歌を紙に書いて柱に貼ると良いと書かれています。「志みづ」は「しみづ(清水)」と読みます。

 逢坂の関の志みづにかげみえて つながぬねこのかへるなりけり

出典等はよくわかりません。一般に、いなくなった猫は探さないというのが日本人の習慣だったと思います。いついた家が猫の家であって、生まれた猫の子までその家で二代三代と飼うのは昔は嫌われていたそうなので、猫を探すというのは戦後の習慣なのだとは思います。

他に、鼻血を止めるときに唱える和歌というのもあります。

 鼻血ならあおむけにねて鼻つまみ、頭と鼻を水で冷やせ

唱えろと書いてあって、実際にその通りしろとは書いてないのですが、治療法を記憶するための和歌ですから、したほうがいいのだとは思います。こういう生活の智恵を和歌で暗記するということはよく行われます。

寝坊をしないための歌というのもあります。寝る前に唱えると良いとあります。

 うちとけて もしもまどろむことあれば ひさおどろかせ わがまくらかみ

 寝るぞ根太(ねだ) 頼むぞ垂木(たるき) 聞けよ梁(はり) *時になったら起こせ戸や壁

※ 「*時」のところは起きたい時刻を唱えます 
※ 根太(ねだ)とは、床板を裏で支える横木のこと。
ちなみに、垂木とは、屋根の裏側に縦方向に何本も付いて支えるもので、梁は、屋根裏内で骨組みをしっかり支えるために横方向に渡された何本かの太い木のことです。
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「心もしのに」

yブログのタイトルについては、なかなか良いものが思い浮かばず、とりあえず「心もしのに」で始めることにしました。
万葉集の有名な歌の
  淡海(あふみ)の海、夕波千鳥、汝(な)が啼けば、心もしのに、古(いにしへ)思ほゆ
から取ったものです(柿本人麻呂作歌)。
その意味は、辞典などでは、最近は「心が撓(しな)えるように」とあるのもありますが、「しっとり、しみじみ」あるいは「しきりに」の意味との説明もあります。
いづれにせよ、重要視したいのは、「心もしのに」に続く「古思ほゆ」であるわけです。

もっと良いタイトルがあれば変更するかもしれませんが、とりあえず、このまま行きます。音声読み上げソフトへの対応のため、おおむね現代仮名遣いを使用します。

7月9日楽天広場への移行にともなって「神話の森のブログ」と改称しました。

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近江国の伝説などについてはこちら
https://nire.main.jp/rouman/fudoki/32siga.htm
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