青春の回顧
20歳のころ、石油ショックといふ事件があったころなのだが、そのころ、懐メロ歌謡曲を聴くようになり、2年後からは民謡も聴いた。日本の民謡には替歌のようにどんどん新しい歌詞が付いて歌はれることがあり、当時デビューしたての民謡歌手・金沢明子の歌で聴いた歌詞が、今でも記憶に残ってゐる。
その唄は、山形県の新民謡「花笠踊り」(別名:花笠音頭)といふ唄で、「めでためでたの若松さまよ、枝も栄えて葉も繁る」といふ歌詞がよく知られてゐる。他に、次のような歌詞があった。
「娘ざかりを、なじょして暮らす。雪に埋もれて針仕事」
雪国の娘たちの歌である。
雪に埋もれる青春……。平凡の中の清らかさと「かなしみ」にも聞えるが、あっといふまに過ぎてしまふ青春のはかなさといふか、回顧されることによってしか癒されない抒情ともいふべきもののことであらうか。このような文句は、近代の文人の手になる詩であらうと思ったので、なかなか詩才のある人が山形県の民謡関係者にはゐるものだと思った。
しかし数年後、新潟県の新民謡「十日町小唄」(永井白湄の作詞)の歌詞の一部に、ほぼ同じものがあることがわかった。
「娘ざかりを、なじょして暮らす。雪に埋もれて機仕事、花の咲く間ぢゃ小半年」
機仕事を針仕事に替へただけの流用なのだらう(機仕事では畑仕事と聞き間違ふ可能性もある)。
「娘ざかりを、なじょして暮らす」と問い掛けて、「雪に埋もれて機仕事」と応へる。さらに「花の咲く間ぢゃ小半年」と付ける。
連句のようでもあるが、「なぞかけ」のようでもある。(中略)
あるいは3句めは、民謡ではお囃子の言葉のようでもある。
雪に埋もれるのは「小半年」(三か月?)という限定された期間だけの意味になるので、現実に引き戻されるようで、がっかりしてしまった。やはり……、二行で切れば、イメージが広がって、懐古の趣きの余韻をふくらませることであらう。それで良かったと思ふ。
これに似た、より古い、北原白秋の短歌を見つけた。白秋の若き日の処女歌集『桐の花』から。
「わかき日は紅き胡椒の実の如くかなしや雪にうづもれにけり」
「かなし」は古語では「愛しい」といふ意味もある。
その唄は、山形県の新民謡「花笠踊り」(別名:花笠音頭)といふ唄で、「めでためでたの若松さまよ、枝も栄えて葉も繁る」といふ歌詞がよく知られてゐる。他に、次のような歌詞があった。
「娘ざかりを、なじょして暮らす。雪に埋もれて針仕事」
雪国の娘たちの歌である。
雪に埋もれる青春……。平凡の中の清らかさと「かなしみ」にも聞えるが、あっといふまに過ぎてしまふ青春のはかなさといふか、回顧されることによってしか癒されない抒情ともいふべきもののことであらうか。このような文句は、近代の文人の手になる詩であらうと思ったので、なかなか詩才のある人が山形県の民謡関係者にはゐるものだと思った。
しかし数年後、新潟県の新民謡「十日町小唄」(永井白湄の作詞)の歌詞の一部に、ほぼ同じものがあることがわかった。
「娘ざかりを、なじょして暮らす。雪に埋もれて機仕事、花の咲く間ぢゃ小半年」
機仕事を針仕事に替へただけの流用なのだらう(機仕事では畑仕事と聞き間違ふ可能性もある)。
「娘ざかりを、なじょして暮らす」と問い掛けて、「雪に埋もれて機仕事」と応へる。さらに「花の咲く間ぢゃ小半年」と付ける。
連句のようでもあるが、「なぞかけ」のようでもある。(中略)
あるいは3句めは、民謡ではお囃子の言葉のようでもある。
雪に埋もれるのは「小半年」(三か月?)という限定された期間だけの意味になるので、現実に引き戻されるようで、がっかりしてしまった。やはり……、二行で切れば、イメージが広がって、懐古の趣きの余韻をふくらませることであらう。それで良かったと思ふ。
これに似た、より古い、北原白秋の短歌を見つけた。白秋の若き日の処女歌集『桐の花』から。
「わかき日は紅き胡椒の実の如くかなしや雪にうづもれにけり」
「かなし」は古語では「愛しい」といふ意味もある。
小野小町と同時代の在原業平がモデルといはれる「伊勢物語」は、色好みの文学ともいはれる。色とは、恋愛、恋心のことであり、色好みは恋の儚さを熟知してゐることでもあるとされる。
この歌は、初夏の歌ではなく、早春の歌だという説があり、誰の説か忘れていたのだが、
天智天皇が、稲刈りに従事する農民の労苦をいたわる歌という解説が多い。
『辞世千人一首』(荻生待也著・柏書房)という本は、日本の歴史上の人物の辞世の和歌、または辞世とされる和歌を千人(千首)集めたもので、専門の学者でない人が一人でよくそれだけ集めたと思う。