日向の伊東氏

日南市

 霧島山の北の麓の小林市真方の愛宕神社に珍しい石碑があり「霧嶋御宝前敬白 元亀三年三月二十三日」と刻まれてゐる。元亀三年(1572)三月とは、戦国時代に日向の伊東氏と薩摩の島津氏が、木崎原(えびの市)で決戦した二か月前のことで、伊東の武士たちが篭もって霧島六所大権現に戦捷祈願したときのものといはれる。その日は、二十三夜の月待ちの日で、農民たちは村の一か所に忌篭りをして豊作を祈る日だったが、武士も同じ日を選んだやうだ。

 ○二十三夜の月さへ待てば、思ひかなはぬことはない

 合戦は島津氏の勝利となり、日向は島津氏の支配下となっていった。伊東氏の一族からは、天正の少年使節の伊東マンショが出てゐる。飫肥(おび)城下(日南市)の伊東家墓地にはマンショの母の墓がある。

 ○マンショの母が古墓、去りかねて、飫肥に日暮れしわが冬の旅  野田宇太郎