式部塚

西都市鹿野田

 むかし京で皮膚病を患った和泉式部が、清水(きよみづ)の観音さまへ詣でると、三薬師に祈れば平癒するといふお告げだった。そこで越後の米山薬師、三河の鳳来寺とめぐって、最後に日向国諸県郡の法華岳薬師に来た。幾日も参籠して祈りを続けたが、いっこうに良い兆しは見えず、悲嘆して歌を詠んだ。

 ○南無薬師、諸病悉除の願立てて、身より仏の名こそ惜しけれ  和泉式部

 (死に行くわが身は惜しくはないが、治せぬ仏の名が惜しい)

 するとどこからか歌が聞えてきた。

 ○村雨はただひとときのものぞかし、己が蓑笠(身の瘡)そこに脱ぎおけ

 歌の通り式部が蓑笠を脱ぐと、もとの美貌をとりもどしたといふ。式部は晩年にお礼詣りのために再びこの地を訪れたが、帰京の途中、急病で世を去ったといひ、西都市鹿野田の式部塚といふのがその墓だといふ。似た話は各地にある。